メッセージ  (説教より)
「使徒言行録」






「賜物として聖霊を受ける」   使徒言行録2章36−42節

 聖霊が降るとは、目には見えませんが、主イエスが共にいてくださる恵みの中で、信じる者が主の復活の命の中に生かされることです。それ故に弟子たちは、聖霊を受けることによって、心からの確信をもって主イエスの復活と主イエスにおける神の救いの御業を語ることができたのです。
「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(36節)。イスラエル全家が、これはメシアではない、自称メシアであるとして、神の呪いの木に懸けたイエスこそ、旧約以来の約束のメシアであることが、ペテロの説教によって議論の余地のない仕方で明らかにされたのです。
 その時、人々は「大いに心を打たれ」(心を刺され!)、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と弟子たちに尋ねたのです(37節)。人々は、神の御前に自分たちの犯した罪の重大さに気づいて、心の動揺を覚え、すがるような気持ちで弟子たちに尋ねたのです。その時、ペテロは「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」と答えたのです。
取り返しのつかない罪に気づいて、深い心の動揺を覚える時があります。その時なすべき必要なことはただ一つ、「悔い改め」の心を献げて、神の赦しに頼ることなのです。その時、私たちは「賜物として聖霊を受け」、罪赦された者として、主の復活の命に生きる者とされるのです。