メッセージ  (説教より)
「フィリピの信徒への手紙一」


「思い煩いから解き放たれて」   フィリピ書4章4−7節


 「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい」(6節)と言われています。
 しかし、私たちの現実は、果てしない思い煩いに満ちています。
 「思い煩い」という言葉は、ギリシャ語の「メリムナ」で、「メロス」(英語のパート、部分)という言葉に由来します。心が、様々の部分に分かれ、分裂するのです。そのために「思い煩い」が生じるのです。
 心が分かれるのは、心に「中心」がないからです。心に中心が与えられることによって、心が一つに統合されることがないからです。心に本当の中心が与えられた時、心は自ずから一つに統合され、心の平安を与えられ、あらゆる思い煩いから解放されて、力ある歩みを行うことができるのです。
 心の中心とは何でしょうか。それこそ、神の御子、救い主イエス・キリストです。主イエスこそ、すべての人間が心の中にまことの「主」(主人)として迎え入れるべきお方として、神さまがお与えくださった方なのです。
 このお方を心の中に「主」して迎え入れるのです。一度だけではなく、日々新しく、いや、時ごとに新しく主として迎え入れるのです。すると、ちょうど散り散りになっていた羊が羊飼いの呼びかけによって一つの群れに統合されるように、私たちの心が一つに統合され、不思議な平安、「あらゆる人知を超える神の平和」(7節)へと導かれるのです。
思い煩う現実は、私たちが生きる限りなくなりません。その中で、心の中に主イエスを主(主人)として迎え入れる時、私たちは不思議な心の平安を与えられ、思い煩いから解き放たれて、力強く生きる者とされるのです。