導かれて教会報から)

「神様と共にある喜び」 
K・K
 
  「あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。」           (テサロニケの信徒への手紙一 2章11−12節)

 鎌ヶ谷教会の今井萬里先生を紹介されたのは、石井錦一牧師からで、松戸教会での母の葬式の時でした。教会の場所は直にわかりましたが、扉を叩くまでに7年を要しました。思い切って入ってみると、以前から歌っていたサークルのピアノ伴奏をされているS・K姉が礼拝の奏楽をしておられ、驚きました。さっそく聖歌隊に入れていただきました。それから1年後、主人が亡くなりました。
 3年くらいは教会に足が向きませんでしたが、その後また礼拝に出席するようになり、聖歌隊でも歌うようになりました。でも、どこか入り込めない思いが拭えず、いつも蚊帳の外にいる感じがしていました。悩んだ末、洗礼を受けたら変われるかもしれないと考えて牧師にご相談しました。聖書も開かず、何もわかっていないのだけれどと言う私に、滝口先生は「入学式だと思って」と受洗を勧めてくださいました。
 1993年、クリスマスにHご夫妻と共に洗礼を受けました。それでも、居心地の悪さ、交わりに入れない気持ちは変わりませんでした。ずっと体調が優れず、鬱々とした日が続いていきました。教会でも相変わらず自分の居場所をみつけることができずにいました。
 母の生まれ育った福岡をぜひ訪ねたいと思いつつ、うつ病のためなかなか行動が起こせないまま10年近くが経ちました。昨年夢が叶い、ようやく福岡に一人旅することができました。5月12日、主日を前にして福岡警固(けご)教会を訪ねると、江口牧師が迎えて中を案内してくださいました。福岡基督教会の移転に伴って、1929年に建てられた教会です。教育館で、伯父の描いた祖父の肖像画と対面した時には、深い感動を覚えました。祖父は福岡教会を33年牧した後、10年間この教会に仕えたのです。ここで私の信仰のルーツに出会うことが出来ました。
 教会に通い始めて22年になりますが、心に鎧を着けたまま神様にも人にも心を開けずにいたのだと思います。でも、神様は私の人生にご計画を持っていてくださっていたことを改めて知りました。振り返ると、必要な時にいつも御霊が導いていてくださったと強く思いました。
 この旅をきっかけに、神様がいつも私と共にいてくださるのだという実感が持てるようになりました。すべてが感謝でした。この時から私は変えられています。
10年前からうつ病に悩まされ、物事への気力も、いろいろなものを新鮮に受け止め感動する心も、涙も、長いこと失っていました。それが、毎朝のウォーキングの中で出合う朝焼けの美しさに感動し、涙と共に主の創造の素晴らしさを思わずにはいられないようになりました。この1時間ほどの間に主の祈りを祈ったり、聖歌隊で覚えた大好きな「主の祈り」を歌ったり、主に向かって語ったりするようになり、早朝ウォーキングの時間が至福の時となりました。
 柏木先生のお話にあった、「信仰のつまずきは必ずある。その時は、神様に立ち帰れば良い」という言葉を心に深く刻んでいます。祈れなくなる時も来る。でも、神様は壮大な計画を持っていてくださり、招いていてくださる。だからすべてを委ねていれば良い。祈っていれば良い。もし祈れなくなっても、また神様に立ち帰れば良い、と知りました。
 主人が亡くなって悲しみの中にいた時、今井先生に度々「祈りましょう」と言っていただきました。その時はわからなかったのですが、神様にすべてを委ね、祈ることでしか救われないことを知りました。