メッセージ (説教より) 「テサロニケの信徒への手紙一」 |
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「祈りのある生活」 テサロニケの信徒への手紙一 5章16〜18節 |
祈りのある生活を送る上で、お奨めの祈りがあります。私たちは、意識する、しないに関わらず、この祈りを毎日祈っています。あるいは、この祈りを誰かから祈られています。それは「とりなしの祈り」です。とりなしとは、取り持つ、自分のことではなく誰かのために祈る祈りのことです。 同時に、私たちは誰かから、大切に思われているということを感じながら生きています。もしも、誰からも自分が必要とされていないと感じたならば、私たちは生きていく希望を失うことでしょう。祈りのある生活とは、愛する家族のことを、今日出会った人のことを、心からとりなし、かたく絆を結んでゆくことだと思います。また、それは同時に、自分のことを祈り支えてくれている人に感謝をするときでもあります。 とりなしの祈りは、地上の歩みを終えて、神さまのみもとに召された方とも互いに祈り合うことができます。いや、むしろ、そのとりなしの祈りによって、私たちはうんと力をいただいて、生かされているのではないでしょうか。誰よりも、主イエス・キリストがいつも私たちをとりなし、祈ってくださっています。 |