メッセージ  (説教より)
「ルカによる福音書」


「宣教の開始」  
            ルカによる福音書 4章16-30節

 ナザレの会堂で語られるイエスさまには、「主の霊がわたしの上におられる」という実感がありました。けれども、説教を聞いたナザレの人達はみんな驚きます。それは、ナザレ人イエスをよく知るがゆえの躓きでありました。私たちにとっても、ナザレの会堂での出来事はいつでも起こりえます。
 キリストの体である教会は、ここに、主の霊、聖霊がおられます。「聖霊によらなければ、だれもイエスを主とは言えない」のです。
 けれども、わたしたちは「この人はヨセフの子ではないか」とつぶやいてしまうときがないでしょうか。私の知っているイエスさまを見ようとする。私の知りえる範囲で、私の思いで、私の考えの中で、み言葉を聞いている。主が私たちを導いてくださるのではなく、私が主を選び、私が主を思い描き、私が主について、ああでもないこうでもないと注文を言う。そこには主の霊はありません。私の霊があるだけです。自分勝手な私の思いがあるだけです。そのような心を、イエスさまは鋭く見抜いて「はっきり言っておく」それは違うとおっしゃるのです。たとえ、そこがお育ちになられたナザレの地であっても。