メッセージ  (説教より)
「イザヤ書」

「エッサイの根」
               イザヤ書11章 1~10節

 エッサイと言うのはダビデの父の名です。ダビデ王が築いた全イスラエル王国がいまや滅亡の危機にさらされている。そのことが、木が切り倒されてしまう、切り株という表現で示されています。けれども、残りの者がふたたび神の民となって復興するに違いないとイザヤは預言をするのでした。その希望がエッサイの根、エッサイの切り株なのです。なぜ、ダビデの切り株から、と謳わなかったのでしょうか。「ダビデ王」と、それほどに理想の王の姿を言うのであれば、ダビデの根よりと表現すればよいのにと思います。そうではなく、エッサイの根より、というのには深い意味があります。
 ダビデの父、エッサイは貧しい小さな家系で、羊飼いでありました。飼い葉桶に眠るイエスさまのところへ羊飼いたちが一番に現れるのにも、このことと無関係ではありません。国が破られ、弱く、貧しい人たちの中から、羊飼いをなりわいとする、小さなエッサイの家系からあの大いなるダビデ王が立てられたように、一つの芽が萌えいでて、その若枝が育ち、その上に主の霊がとどまるであろうと、救い主の到来を待ち望み預言するのです。