第三十回国民文化祭・かごしま2015
「暮らしと共生・生活文化のフェスティバル」文芸祭「連句」大会


鹿児島での国民文化祭で連句大会の開催が決まった時、鹿児島県の連句 人口は零、「連句」は鹿児島において未知の物で、まさしく零

からのスタ ートでした。平成二十六年三月二十九日、日本連句協会から和田忠勝氏等 のご参加を頂き第一回「鹿児島連句を楽しむ会」

が開かれ、鹿児島での連 句が産声を上げました。月一回の連句の勉強会が始まりましたが、参加者 は伸び悩み大きな課題となりまし

た。 平成二十六年十一月十七日プレ大会がよかセンターで行われました。四 十七名の参加で九席、席名は西郷隆盛をはじめとする鹿

児島出身の維新の 英傑の名前で、半歌仙が巻かれ、本大会への地ならしとなりました。しか し地元の参加者が少なく本大会への準備に

不安を残しました。国文祭を開 催するにはまず組織づくりが急務であり、新たに連句大会実行委員会を立 ち上げ、会長以下事務局長、

を置き、日本連句協会の協力の下準 備を進めました。また、鹿児島県出身の佛渕雀羅氏主宰の「たもんせ塾」 による「連句の集い」が3

回開催され、力強いご支援を頂きました。 平成二十七年に入り、国民文化祭への鹿児島県の対応も具体化し、私達 も募集要項を発送し

応募作品を待つ事になりました。作品は半歌仙形式で す。私達の運営資金は募吟収入だけであり何巻頂けるか気をもむ毎日でし たが

、締切りの五月末には応募数は上向き、締切を六月十日に延ばす事で、 最終的に六百七十巻の応募を頂きました。私達も二十七巻を

応募し、遠路 当地まで出向いてご指導いただいた協会の方々に恩返しができたと思い ます。 実は、当初より運営資金についての懸念

がありました。鹿児島県の補助 は会場提供のみです。加えて郵送料、宅配便、消費税の値上げの悪条件が 重なり、支出が例年よりか

なり増えると予想されたのです。支出を抑える には印刷代と送料をいかに抑えるかにかかっていました。幸い実行委員会 前田会長のご

尽力で、原稿のデジタル化と割り付け、表紙デザインを実行 委員会で行うことで破格の値段で引き受けて頂ける印刷所が見つかりま し

た。さらに鹿児島県観光コンベンション協会の補助金の交付を受ける事 になり資金の見通しがたちました。また大会の募集要項、参加案

内も会員 の方には日本連句協会会報に同封して頂き、他の送付物は宅配業者二社と 交渉して最も安いメール便を契約することで経費

の節減につなげました。
応募作品は臼杵游児氏、梅村光明氏、小池正博氏、式田恭子氏、和田忠 勝氏に審査して頂き、八月末の選者会議で文部科学大臣賞

他、入賞・入選 作の計百七十九巻が選ばれました。選者のお一人の式田恭子さんは選考期 間中、既に病と闘っておられましたが、暑い

最中の大変な審査を全うして 下さいました。また選者会議にもにこやかに出席され、大会終了後にご逝 去されるとは思いもしないことで

した。心よりご冥福をお祈りいたします。
大会前の大きな作業の一つが入選作品集の発行です。編集の中でインタ ーネットメールや郵送でもワープロ仕上げの原稿のデジタル化

容易で したが、手書きの原稿のデジタル化は電子辞書を使い、歴史的かな使いに 苦戦しながら、数人の実行委員がパソコンで打ち上げ

ました。原稿の校正 は梅村光明理事にお願いしましたが、間違いが多く予想外の大きなご負担 をおかけする事となりました。今までの入

選作品集を参考に編集を行いま したが、大島紬の写真を使った表紙も好評で、労苦が報われた思いです。

平成二十七年十一月十四日、朝五時前に震度四の地震が起こり、大きな 揺れに桜島の噴火かと驚いた方もおられたようです。しかし、

その後は何 事もなく、予定通りに吟行へと観光バスは出発しました。桜島コースに十 九名、知覧コースに八十名の計九十九名が参加し

ました。桜島は夏には巨 大噴火が目前との警報が出され、参加者からの問い合わせもありましたが、 その後は支障はなくなりました。小

雨が降る生憎の天候で桜島の姿は見え ませんでしたが、西南戦争の戦没者をまつる南洲墓地を見学した後フェリ ーで桜島へ渡り、林

芙美子文学碑、有村溶岩展望所、溶岩で埋没した黒神 神社の鳥居を見学し、桜島の噴火エネルギーの凄さを実感しました。世界 最大

の桜島大根の実物も見ましたが、この大根は煮物、漬物にすれば極め て美味であることは地元の人々の認めるところです。 一方、知覧

コースは雨に濡れて風情を増した武家屋敷沿いに歩き、各家 で工夫を凝らした庭作りに見とれました。鹿児島は日本第二位のお茶の

生 産地で、中でも知覧茶が有名であり、参加者も一服の接待を受けました。 次に訪れた特攻平和会館では何度訪れても涙を誘われる

少年兵の遺書に 戦争の空しさ、残酷さを実感させられました。帰途、無双蔵を訪れ、鹿児 島名物芋焼酎の種々の銘柄を試飲しました。

冷凍庫でも凍らない四十度の 焼酎ののど越しに驚かされ、参加者の方々も楽しまれた様子でした。 また同日午後一時より日本連句協

会に指導をお願いして、大会会場でワ ークショップも開かれました。一般の方や高校生、初心者の実行委員も参 加し、半歌仙および笠

着連句による歌仙を巻き、連句とは何か、一般の方々 にも興味を持って頂くことができたのではと思います。 同日午後七時より鹿児島

サンロイヤルホテル二階太陽の間で交流会が 開かれました。前田会長よる開催県挨拶、日本連句協会臼杵游児会長の来 賓挨拶に続

いて、和田忠勝理事長の乾杯で、参加者百四十四名による祝宴 が始まりました。アトラクションでは鹿児島を代表する薩摩琵琶と奄美

の 島唄を皆様にご披露しました。最初に薩摩武士の嗜みであった薩摩琵琶と 小型の尺八に似た天吹の演奏が行われ、天吹の温かくも

澄んだ高音の響き に一同聞き惚れました。次に奄美民謡の島唄が蛇皮線と太鼓の伴奏で唄わ れ、お祝いの歌である六調では参加者も

巻き込んでの踊りの輪が大きく広 がり、一同大いに盛り上がった交流会となりました。最後に次期開催県で ある愛知県連句協会の方

々、さらに次々期の開催県である奈良県連句協会の方々のご紹介とご挨拶をいただきお開きとなりました。
   翌十五日は快晴で、南国らしい日差しの中、十時より鹿児島アリーナ二 階武道場において本大会が開会されました。当初、連句大会

参加者数は百 二十名程度と見積もられ、会場が割り当てられましたが、応募数から百八 十名になる可能性もあり、県の担当者と交渉

して利用面積を広げて頂きま した。実際には百六十一名の参加があり、大会の実施には何とか間に合い ました。さらに、警備の都合

上担当スタッフ以外の参加者の入場は十時か らとする県の方針に対し、連句大会では参加者全員が十時時開始時には集 合している

必要性を説明して、九時からの入場が出来ました。また武道場 での飲食を認めないとの方針も、連句大会の特殊性を説明し会場で昼

食を とることが許可されました。 日高南海雄実行委員の開会宣言ののち、前田実行委員長の挨拶、文化庁 より田村寿浩氏、日本連

句協会より臼杵游児会長の来賓御挨拶があり、文 部科学大臣賞等の表彰式が行われました。アトラクションのおはら節とお はら踊り

の後、選者紹介、和田忠勝理事長の総評に引き続き鹿児島市長賞 等の表彰が行われ、受賞者代表の石川葵氏の謝辞をもって十一

時時すぎに 終了しました。 実作会では三十席の席を設け、席名には鹿児島名物の焼酎の有名銘柄を 用いました。五巻の代表披講の

後、閉会式に移り、鹿児島連句協会副会長 の挨拶に続き、鹿児島県の前田豊会長より次期開催県の愛知県代表杉山壽 子会長へ日

本連句協会大会旗が引き継がれました。最後に杉山壽子会長よ り来年の名古屋での大会への多数の参加をお待ちしますとの挨拶が

あり 大会を終了しました。 当初は問題山積でどうなるかと思われた鹿児島での連句大会の開催も 皆さまのご助力とご協力のお蔭で無

事終了いたしました。特に梅村光明理 事には毎月の連句の指導のみならず大会準備にも助言や多大なご協力を 頂きました。ここに

厚くお礼を申し上げます。

(鹿児島県連句協会副会長 五郎丸照子)
 
     

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