2025年1月5日 メッセージ要旨 | ||||
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神に立ち返る人は幸い エレミヤ書 24章1~10節 |
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わたしは、彼らを幸せにしようと彼らに目をかける。 わたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。 彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。 彼らが心のすべてをもってわたしに立ち返るからである。 エレミヤ書 24章6~7節(抜粋) |
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良い境遇にあること、良い生活をすることが幸せであると、多くの人は考えます。しかし、神はご自分に立ち返る人を幸せにしようと言っておられます(6~7節)。神を知る心を持つ神の民となる、そのような神との親しい関係を持っていることが幸いであると聖書は言っています。 本来、人は神との親しい関係を持つ者として造られました。ところが、人は神に背を向け、神との良い関係を壊してしまいました。そのことを聖書は罪と言っています。 けれども、神は人をあわれみ、十字架の上で人々の罪を負われたキリストによって、罪赦され、神との親しい関係にあずかる救いの道を、信じる人々に開いてくださったのです。 バビロンに捕らえ移された民は、その苦しみの中で救いを求めて神に立ち返り、神を知る民とされます。苦しみにあったことで、かえって神に立ち返って幸せになるのです(詩篇119篇71節)。 一方、エルサレムに残された者や、エジプトに逃れた者に待っているのは滅びです(10節)。バビロンに捕らえ移される苦しみにあわなかった彼らは、神に救いを求めて立ち返ることなく、ますます心を頑なにしていくのです。 「自分はそれなりに幸せだ」と思っている人は、救いを必要としません。世の多くの人々が神に救いを求めて立ち返ろうとしないのはそのためです。何不自由なく生活できるのは幸せなように思えますが、それで神に立ち返ることがなければ、かえって不幸なのです。 バビロンに捕らえ移された民を、神は「建て直し」(6節)、回復してくださいます。出口のないトンネルはありません。夜明けは必ず訪れます。十字架の向こうに復活があります。苦難の先にはすばらしい回復があるのです。 神と親しく交わることで満ち足りた存在となるよう人は造られています。神の恵みと祝福の中を歩むことには、すばらしい喜びがあります。神は御子キリストによってその恵みの中にすべての人を招いておられます。神がくださったそのプレゼントも、受け取って箱を開けなければ、恵みを味わうことができません。信じて神の招きに応えてまいりましょう。 神との親しい交わりを持っていることが、本当の幸いです。神は幸せにしようと私たちに目をかけておられます。心のすべてをもって神に立ち返りましょう。そして神の祝福の中を歩んでまいりましょう。 |
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