2024年9月22日 メッセージ要旨 | ||||
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メッセージ 丸山豊 牧師 神の沈黙の呼びかけ 詩篇 19篇1~14節 |
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天の果てからそれは昇り天の果てまでそれは巡る。その熱から隠れ得るものは何もない。 詩篇 19篇 6節 |
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(被造物を通して) 神の創造の御業は、マクロの世界からミクロの細胞にまで及んで、東のはてから西のはてまで、神の恵みに浴せない人など一人もおりません。人は、その神の愛の大きな支えの中に生かされていると言うのに、目の欲や、目の前の現実しか見ないで、神の恵みに与ろうとしない人がなんと多いことでしょう。そもそも被造物は、神が人との永遠のかかわりを持つための舞台設定として創造されましたが、人は、神の戒めに背いてその創造の秩序を乱し、誰もが創造以前の茫漠の闇に引き戻されてしまわなければならない(死)存在となってしまいました。エゼキエル書33章11節には、「・・わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。立ち返れ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。」とあって、神は人を、「見よ、それは非常に良かった。」と祝福なさった秩序ある状態に引き戻そうと、日夜、呼びかけておられます。しかし、現実は、神の創造の御業である被造物もまた、人の手(戦争、自然破壊等)によって損なわれつつあり、やがては滅び去ることも聖書に預言されております。 (みことばを通して) アブラハムは満天の星空を見、ヤコブは頂が天に届く梯子の夢を見て神の呼びかけに応じ、モーセ、ダビデ、サムエル、預言者らは、神の呼びかけを旧約聖書全39巻に記しました。そして、神ご自身が人となってこの地にお降りになって新約聖書27巻が加えられ、新旧約聖書全66巻を通して、私たちは神の呼びかけを聴くことができます(へブル人への手紙1章1~3節。詩篇119篇105節には、「 あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。」とあり、イエス・キリストは、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネの福音書14章6節)と言われました。 人が交通法規を守って安全をはかるように、一人ひとり、みことばを守り行っていくなら、必ず、被創造物に本来与えられている「秩序」を取り戻すことができるのです。 (人の良心を通して) 人は、神のかたちに似せ、いのちの息が吹き込まれて創造されました。その時、備えられたのが「良心」で、良心は、生まれながらすべての人に機能しており、自己反省を促し、神との生命的な交わりを求めさせ、人を祈りに導き、神の呼びかけに従う喜びも、自己の無力さをもっと知っており、自力によらない贖い主のあわれみを必要とし、創造主との正しい関係に引き戻そうとしてくれます。 神がおられることを、肉眼では確かることができませんが、神は、行方不明になった子どもの名を呼んで必死に捜す親のように、失われた一匹の羊を求める良き羊飼いのように、日夜、自然を通し、みこばを通し、私たちの良心を通して呼びかけておられます。 晴れの日も、雨の日も、喜びの日も、悲しみの日も、順風満帆な昼も、絶体絶命の試練の夜も、せめて週に一度の礼拝に出て、神の呼びかけに耳を傾け応答して行き、本来与えられている被造物の秩序を回復させていただきましょう。 (丸山豊牧師) |
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