2024年8月25日 メッセージ要旨
メッセージ      Home
                                                           メッセージ 丸山豊 牧師         

あなたをこの地に連れ帰る

                         創世記 28章10~22節
 
                                                                                                                                      
     
 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。 

                                        創世記 28章15節
                                                                 
 ヤコブは、母リベカと共謀して兄を出し抜き、父イサクをだまして、兄が得るはずの相続権と祝福を横取りし、罪の刈り取りとしての父との断絶、兄との破局、母との離別を余儀なくされ、叔父ラバンのもとへと旅立ちました。
 一日中歩き続け、疲れた身体を真っ暗闇な荒野に横たえて、石を枕に野宿しました。天涯孤独なヤコブは、その晩、頂が天に達するはしごを、神のみ使いたちが上り下りする夢を見ました。そのはしごは、バベルの塔のように呪われた地に支えられているのではなく、地と天の方向に延びており、「バベルの塔のように神に対する背反の企てではない。神と人との隔たりを人が埋めることはできない。バベルが人間の罪のしるしなら、ヤコブのはしごは、神の側からの接近であり、あわれみのしるしである。また<上り下り>の順序を軽視してはならない。神の使いたちは答えをもたらす前に、まず祈りを神の許に運ぶ。人がそれに気づかなくても彼らは人と共にある」(いのちのことば社新聖書注解)とありました。
 ヤコブはその夢の中で主と出会い、アブラハムの神、イサクの神が彼らと交わされた、国土の獲得・子孫の繁栄・万民の祝福と、さらに「わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」という、神の恩寵による、無条件の約束が与えられました。
 神の約束によって救われ、慰められ、自分の罪に気づかされた彼は、枕としていた石を立てて油を注ぎ、新たな信仰の一歩を踏み出しました。 
 その後、伯父ラバンのもとで四人の妻との間に娘と息子12人を儲け、財産を築いて独立し、兄エサウとの和解しに行く途中、ヤボク川の渡しで神と格闘して神に勝利し、イスラエルと呼ばれて、12人の息子らはイスラエル12部族の祖とされますが、神がヤコブを神に有用な者と造り変えるために要した期間は20年で、彼が戻りたい帰りたいと願っても、その日数を早めることはできなかったのです(へブル人への手紙12章6~7節)。
 こうして神の約束は成就され、ヤコブが死んだ後のイスラエルにも繰り返し語られ、成就されて参ります。(出エジプト、バビロン帰還等)
 さて、ヤコブの企ては、バベルの塔を思わせる人間の罪の象徴ですが、イエスキリストは出会ったばかりの弟子たちに「天が開けて、神の御使いたちが人の子を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります」(ヨハネの福音書1章51節)と言われ、十字架におかかりになる前、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません」(ヨハネの福音書14章6節)と言われ、さらに「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(マタイの福音書1章23節)とあります。
 ヤコブがイスラエル(神に勝つ者)とされた所以は「祝福してくださるまでは離しません」と神を離そうとしない彼に神が負けてくださったからで、イエスキリストは、人となってこの世に降り、十字架の贖いの御業によって、神の祝福にすがる者の真の梯子となってくださいました。助け主聖霊は、私たちと共にいて、私たちの祈りを、確実に神のもとに運んでくださり、神の選びとその目的に相応しい者と造り変えてくださいます。そのような神の深い愛を覚えて、それぞれに与えられる試練を、神の我が子に対する訓練と受け止めて、耐え忍び、神の祝福に与るその日まで、しっかりと神にすがって参りましょう。              
                                           (丸山豊牧師)