2024年8月11日 メッセージ要旨
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信じる者に働く神の力

                                          マルコの福音書 5章21節~16節                                                                                                                                       
     
 神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。 

                                   エペソ人への手紙 1章19節(抜粋)
                                                                 
 12年の間、長血の病になやまされていた女の人が、イエス様の衣に触れると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒やされました。イエス様が、死んでしまったヤイロの娘の手を取り、「起きなさい」と仰せになると、少女はすぐに起き上がり、歩き始めました。ヤイロも、長血をわずらっていた女の人も、主の御力によって、絶望的で困難な状況から救い出されました。そのように、主の御力が働くと、そこに偉大な御救いが起こるのです。
 主の御力は、信じる者に働きます。長血をわずらう女の人が、「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」(5章28節)と信じて衣に触れると、主のうちから御力が出て行きました(30節)。主は彼女に「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言っておられます(34節)。
 ヤイロの懇願にも、イエス様が来て手を置いてくだされば娘は治るという信仰が見られます(23節)。娘の死を知らされたヤイロに対して、主は、「恐れないで、ただ信じていなさい」と言っておられます(36節)。
 反対に、イエス様の郷里では、人々の不信仰のゆえに、イエス様は何も力あるわざを行うことができませんでした(6章5~6節)。不信仰は主の御力が働くのをはばんでしまうのです。
 イエス様に押し迫っていた群衆も、イエス様の衣に触れたことでしょう(5章24節.31節)。しかし、主の御力は、群衆にではなく、主の救いを信じて求めた長血の女の人に働きました。
 私たちは主を礼拝するために教会に集っていますが、長血の女の人のように、主の救いを信じて求めているでしょうか。それとも、群衆のように、ただ主のもとに集まっているだけでしょうか。
 祈ってもなかなか改善されない自分の現状や問題、救われない隣人の存在などを思う時、私たちはあきらめに近いような感情を抱きがちなのではないでしょうか。日本のクリスチャン人口は、1パーセントにも満たないと言われています。そのような状況が長く続いているので、それがまるで固定されて動かないことのように感じてしまいます。
 しかし、からし種ほどの信仰があるなら、山のような不動の現状を動かす主の御力がそこに働くのです(マタイの福音書17章20節)。
 神は、天地のすべてのものをお造りになった方。その御力によって、キリストを死者の中からよみがえらせた方です。人間的な狭い視野で、神の御力を小さく見積もったり、不信仰によって、神の御力をはばんだりしないようにしましょう。信じる者に働く神の力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができるように(エペソ人への手紙1章19節)、信じて、期待して、歩んでまいりましょう。