2024年7月21日 メッセージ要旨 | ||||
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神の恵みに生かされている マタイの福音書 20章1~16節 |
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ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。 コリント人への手紙第一 15章10節 |
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ぶどう園の主人は、早朝、9時ごろ、2時ごろ、午後3時ごろ、5時ごろに、それぞれ労働者たち雇います(1~7節)。最後に雇われた者たちが働いたのは、一時間だけでしたが(12節)、主人は賃金を払う際、すべての労働者に等しく1デナリを与えました(8~10節)。 ぶどう園の主人は、午後5時ごろまでだれにも雇われないでいた者たちを雇って(6~7)、1時間しか働いていないにもかかわらず、1日分の賃金を与えました。彼らにとってその1デナリは、自分たちの働き以上に与えられた恵みです。彼らはその恵みに、感謝したことでしょう。このぶどう園の主人ように、神は恵み豊かな方です。 一方、早朝から働いた者たちは、1時間しか働いていない者たちと自分たちとを同じように扱ったと言って、主人に不満をもらしました(11~12節)。彼らにとって1デナリは、恵みではなく、自分たちの働きにそぐわない不当な報酬に思えたのです。 ぶどう園で早朝から働いた者たちのように、パウロは、ほかのすべての使徒たちよりも多く働きましたが、働いたのは自分ではなく、神の恵みだと言っています。かつて教会を迫害していた彼が、神の恵みによって、キリストを宣べ伝える使徒へと造り変えられたのです。最後に雇われた者たちが身に余る恵みを受けたように、パウロは神の豊かな恵みに生かされていたのです(コリント人への手紙第一15章9~10節)。 キリストは、私たちが罪赦されて、神との親しい交わりを得て救われるために、十字架の上でその罪を負ってくださいました。神の御子の尊いいのちがささげられている十字架の恵みに見合うだけ働くことのできる人など、どこにもいません。私たちはみな、受けるに値しない罪人として、身に余る恵みにあずかっているのです。 早朝から働いた者たちは、自分たちと1時間しか働いていない者たちとを比べたことで、不満を抱きました。しかし、主人は彼らに対して不当なことはしておらず、彼らに約束の1デナリを与えています(2節.13節)。働きいかんに関係なく皆等しく1デナリが与えられたように、十字架の愛と恵みを、信じる者は皆等しく受けています。その恵みに生かされていることを忘れ、自分の労苦に目を向けたり、他の人と自分を比べたりすると、不満が生じ、喜びが失われるのです。 私たちが今日あるのは、神の恵みによるのです。そして、これからも、神の恵みによってさまざまな働きが成し遂げられます。十字架の愛と恵みを絶えず受けていることを忘れずに、喜びと感謝をもって、歩んでまいりましょう。 |
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