2024年6月30日 メッセージ要旨 | ||||
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流れのほとりに根を伸ばす木のように エレミヤ書 17章5~10節 |
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主に信頼する者に祝福があるように。その人は主を頼みとする。 その人は、水のほとりに植えられた木。流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、実を結ぶことをやめない。 エレミヤ書 17章7~8節 |
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主に信頼する者、主を頼みとする人は、水のほとりに植えられた木のように、神の川の流れのほとりに根を伸ばしているのです。その豊かな流れから、いのちの水を吸収するので、暑さや日照りの試練にあっても葉を茂らせ、実を結ぶことをやめません(7~8節)。 それに対して、心が主から離れている者は、荒れ地の灌木で、その焼けついた荒野には、神の川の豊かな流れはありません(5~6節)。 私たちは神を礼拝するために教会に集まっていますが、その心はどうでしょうか。「この民は口先でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れているいる」(マタイの福音書15章8節)とあるように、神を礼拝するために集まっていながら、心が神から遠く離れているということが起こり得るのです。 人間は、生活の必要が満たされることや、物事がうまくいくこと、困ったことが解決することなど、表面的なことに関心が向きます。しかし、神は、人の心をご覧になり、ねじ曲がっていて癒しがたい人の心を癒すことに関心を向けられるのです(9~10節、サムエル記第一16章7節)。 心が神のみこころとずれていては、幸せが訪れても出会うことはありません(6節)。神が与えようとしておられる幸せを、幸せとして受けとめることができないのです。 神は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださるのです(マタイの福音書7章9~11節)。神がお与えになる良いものとは、聖霊に満たされる霊的祝福です(ルカの福音書11章13節)。 神が与えようとしておられる祝福を、私たちも追い求め、そのようにして心が神と一致することで、私たちは神の御力にあずかることができるのです。「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現わしてくださるのです」とあるとおりです(歴代誌第二16章9節)。 私たちの心は何を求めているのでしょうか。私たちを祝福してくださる神ご自身に心を向けましょう。生ける水の源である神のもとに根を伸ばすことで、私たちは神のいのちと御力を受け、青々と葉を茂らせる木のようにいのちに満ちた人となり、豊かな実を結ぶようになるのです。 |
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