2024年3月17日 メッセージ要旨
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                    神の国の祝福が及ぶ交わり

                                         ルカの福音書 22章14~23節                                                                                                                                       
    
   わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

                   
   ヨハネの福音書 13章34節(抜粋)                                                                 

 最後の晩餐の席で、イエス様を裏切る者がいると聞いた弟子たちは(21節)、だれがそんなことをしようとしているのかと、互いに責め合いました(23節)

 一方、イエス様は、切に願っておられた大切な食事に(15節)、裏切る者をもともに与らせ(21節)、ご自分のからだを与え(19節)、血を流して(20節)、弟子たちのために身代わりの死を遂げられます。弟子たちだけでなく、多くの人々の救いのために、イエス様は人々の罪を負って十字架に死なれ、よみがえられて、信じる人々に罪赦され神と和解する救いを与えてくださいました。

イスラエルの民がエジプトを脱出する際、エジプト全土の長子が滅ぼされましたが、子羊の血を鴨居と門柱に塗ったイスラエルの家は滅びが過ぎ越し、救われました(エジブト記12章)。この過越は、神の子羊であるキリストの血によって罪赦され救われることを予表しています。

しかし、過越はまだ完全には成就していないのです(16節)。過越によって出エジプトした民は、荒野の旅を経て、約束の地に入りました。主の血によって贖われた私たちも、神の国に至るまでは、荒野のようなこの世の旅路を歩まなければなりません。過越に表される救いが完成するのは、神の国においてなのです(16節)

神の国には救いの完成を喜び祝う宴がありますが、そこに至るまでは苦難と試練のある世にあって、断食と断酒の時代なのです。イエス様はここでみずからも断食と断酒をもって弟子たちと苦難をともにする誓いを立てられます(16節.18節)

苦難の時は、感謝するのが難しいものですが、イエス様は十字架を目前にして、感謝の祈りをささげています(17節.19節)。イエス様は御父が最善にしてくださると信頼しておられたのです。そしてその信頼は裏切られませんでした。十字架の向こうに復活があり、多くの人々に救いがもたらされたのです。

荒野で度々不平不満を漏らした民は、約束の地カナンに入ることなく荒野で滅んでしまいました。世の苦難を耐え忍んで御国に至るには、神の善意に信頼して感謝することが大切なのです。ある信徒の方が病気の時、岩井恭三先生に祈って頂こうとしたところ、先生は「神様に感謝しましょう」とおっしゃったそうです。どんな時も神が良くしてくださると信頼して、感謝するよう心がけるべきなのです(テサロニケ人への手紙第一5章18節)

杯を分け合うことは交わりのしるしです(17節)。キリスト者の交わりには、やがて完成する神の国の祝福が、すでに及んでいます。殺伐としたこの世に遣わされているキリスト者にとって、他のキリスト者との交わりのうちにある御国の恵みに与ることは、喜びであり、大きな励ましとなります。

しかし、その交わりは主の愛に根ざしていなければなりません。互いに責め合った弟子たちは、この後イエス様を見捨てて逃げてしまうのですから、だれをもさばくことなどできないのです。罪赦された者として、互いに赦し合い、愛し合う、それがキリスト者にふさわしい交わりなのです。

私たちの交わりに神の国の祝福が及び、喜びと、大きな励ましがあるように、互いに主の愛に根ざしてまいりましょう(ヨハネの福音書13章34節)