2024年3月10日 メッセージ要旨
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                    目に見えない神を仰いで

                                         使徒の働き 14章1~28節                                                                                                                                       
        主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。
                   
  
                                            詩篇 105篇4節
                                 

 多くの人々が目に見える人間を称賛し、目に見えない唯一の神を知ろうとはしません。人は目に見えるものの方に関心を向けがちです。リステラの人々も、生まれつき足が動かなかった人が歩き出す奇跡が行われると、その神のみわざをパウロが行った奇跡と見てしまい、パウロとバルナバを神々として礼拝しようとしてしまいます(8~13節)

 パウロとバルナバの伝道により、大勢の人々が信じた一方(1節)、迫害も起こりました(2節.5節)。パウロは石打ちにされてしまいましたが、彼は立ち上がり、別の町で福音を宣べ伝え、石打ちや迫害のあった町へ戻って行き、弟子たちを励まします(19~22節)。この力は目に見えない神から来ているのです。パウロとバルナバは、神の恵みにゆだねられてこの働きに送り出されています(26節)。二人はどのような時も目に見えない神の恵みの御手に支えられていたのです。

 多くの人が信じて、成果のある時は、そこに神の力が働いているのを目で見て認めることができます。しかし、成果の見られない困難な時、その現状に目が奪われて「これはもう駄目だ」と思いがちなのではないでしょうか。けれども、良い時も悪い時も、どのような時も神の恵みの御手に私たちは支えられているのです。そして、パウロと同じように私たちも御力によって立ち上がることができるのです。

 目に見える現状が困難な時、信仰を働かせるのが難しいものです。しかし、リステラで、生まれつき足が動かず、一度も歩いたことがなかったという絶望的な状況にあった人が、その目に見える現状に目を向けず、目に見えない神の御力に癒やされることを信じました。その信仰に神の御力が働き、彼は自分の足で立ち上がり、歩き出したのです(8~10節)

 日本の多くの人々が唯一の神を知らずに歩んでいます。しかし、神はご自分を証ししないでおられるのではなく、天からの雨と実りの季節を与え、食物と喜びで心を満たすなど、恵みをほどこしておられます(17節)

 そしてご自分の愛を十字架に示しておられます。十字架の上で人々の罪を負われたキリストによって、信じる人は罪赦され神と和解して救われます。先に救われた私たちは、この恵みを世人のもとへ運ぶ器です。世人を主の救いへと導くため、まず私たち自身が主を仰ぎ、目に見えない神の恵みの御手に支えられていることを常に覚えていなければなりません。

 現状に目が奪われるのではなく、目に見えない神を絶えず仰いで、その御力に、恵みの御手に支えられていることを覚えて、歩んでまいりましょう。