2024年2月18日 メッセージ要旨
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                    神を信じて期待して

                                         サムエル記第一 14章1~23節                                                                                                                                       
    
 多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものは何もない。

                   
      サムエル記第一 14章6節(抜粋)                                                                 
 ペリシテの大軍(13章5節)にイスラエルの人々は危険を覚え、兵たちは隠れ、ヨルダン川を渡って逃亡するおり、とどまる兵たちは震えながらサウル王に従っていました(13章6~7節)。ペリシテ人が鍛冶屋を独占してイスラエルの武器を作らせなかったので、サウルとヨナタン以外、だれも武器持っておらず(13章19~22節)、サウルの兵は少なく(14章2節)、ペリシテ人の方が圧倒的に優位に立っていたのです。

 しかし、ヨナタンは不利な状況にありながら、「主がお救いになるのを妨げるものは何もない」(6節)と言って神の救いに期待しました。その信仰に応えて、神はイスラエルを救われたのです(23節)。

 反対に、ペリシテの大軍は、ヨナタンと道具持ちのたった二人に攻められただけで、もろくも崩れてしまいました(13~16節、20節)。神が介入なさったのです(15節)。大軍勢は勝利の頼みとならず、救いは神を待ち望む者に及ぶ御力によるのです(詩篇33篇16~18節)。

 人は困難に直面すると、そこに目が奪われてしまいます。神に期待することを見失いがちです。しかし、神はマイナスをプラスに変えることのできるお方です。神はヨセフの人生に働いて、エジプトに奴隷として売られた彼を支配者として、多くの命をを救うために用いました。初代のキリスト者たちが迫害によって各地に散らされたことによって、かえって福音が諸外国にひろまりました。パウロは囚人となったことで、ローマで福音を語る道が開かれました。みな神の摂理によるものです。最も忌まわしい刑であった十字架も、信じる人々が罪赦され救われる神の愛のしるしとなりました。

 アブラハムは不妊の妻サラとともに非常に年老いて、子を授かる見込みが全くなくなった時、約束の子イサクを授かりました。長血をわずらっていた女も、娘が死にかけていた会堂司ヤイロも、絶望的な状況にあったが主の救いを体験しました。イエス様は「あなたの信仰があなたを救ったのです。」(マルコの福音書5章34節)と言っておられます。私たちは神が私たちの
人生に御力を働かせて下さることを信じて期待しているでしょうか。信仰がなければ、神に喜ばれることはできないのです(へブル人への手紙11章6節)。

 ヨナタンは、切り立った岩をよじ登ってペリシテの陣営に行きました(4節、13節)。信仰に満ちた人は、どのような障壁があっても進んで行き、敵の前に姿を現すことを恐れないのです。

 ヨナタンの信仰に満ちた行動をきっかけにして、ペリシテ側にいた人も転じてイスラエル側につくようになり(21節)、隠れていた人も戦いに加わりペリシテ人に追い迫りました(22節)。そのように、信仰に満ちた人は他の人に良い影響をもたらし、信仰を促すのです。

 私たちの教会は、小さな教会で人数も少なく、また、私たち一人一人小さい存在です。しかし、多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものはなにもありません。ですから、神を信じて、神が私たちに御力を働かせてみわざを起こさせてくださることを期待してまいりましょう。