2024年2月11日 メッセージ要旨
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                    弱さのうちに現れる神の力

                                          士師記 16章1~31節                                                                                                                                       
    
     わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。

                   
       コリント人への手紙第二 12章9節(抜粋)                                                                 
 サムソンは、神に捧げられたナジル人(神に対して特別に捧げられた人)でしたが、自分を制することができない。自堕落な人でした。彼はデリラとのやり取りの中で、自分の力の秘密を明かして、授かった神の力を奪われてしまいます。そして、ペリシテ人の中で捕虜として死ぬという壊滅的な最期を迎えます。彼自身が真実な献身によって整えられていたなら、そのような結果にならなかったでしょうし、もっと優れた働きを成し遂げたかもしれません。そのことをはばんだのは、他ではない彼自身だったのです。

 私たちに神の栄光が現されるのをはばむ最大の障壁は自分自身です。私たちの自己は、自分を打ち出したり、引っ込み思案、劣等感、疑いで自分を閉ざしたりして、御霊の働きを阻止してしまいます。そのような自己がキリストと共に十字架につけられ、神に明け渡すことで、私たちはキリストに支配され、うちに生きておられるキリストをはっきりと現す器とされるのです(ガラテヤ人への手紙2章19~20節)。

 ペリシテ人に捕らえられたサムソンは、両目をえぐり取れ、集会の笑いものにされてしまいます。千人を打倒した勇士の姿を見る影もなく、弱い者とされた彼は、主を呼び求めます(28節)。人に弱さや欠乏が与えられるのは、神を呼び求めされるためなのです。

 サムソンが神殿を支えている、二本の柱に手を当てて押し広げると、神殿は崩れ、その中にいたすべての人の上に落ちました。「もう一度だけ私を強めてください。」(28節)という祈りが聞かれ、御力が与えられたのです。両目を取られた捕虜という弱さのうちに働いたその力が、サムソン自身の力ではなく、神の御力にほかならないということを、千人を打倒した勇士の時よりも、よりはっきりと現れます。神の御力は弱さのうちに完全に現れるのです(コリント人への手紙第二12章9節)。

 イエス様が盛んにななるには、自分が衰えなければなりません(ヨハネの福音書3章30節)。高慢に自分を打ち出したり、劣等感や疑いで自分を閉ざしたりする自己が衰え、弱められることで、御霊の力が現されるのです。
 神がご自身に主役として前に出ていただき、私たちは脇役として御霊に自分自身明け渡してまいりましょう。そうすれば神の御力が完全に現れるのです。