2024年12月22日 メッセージ要旨
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クリスマス礼拝                                           
   神のプレゼントの箱を開けて

                         ルカの福音書 2章8~20節
 
                                                                                                                                      
     
 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」

                                     ルカの福音書 2章 15節
                 
           
 プレゼントをもらったら、ただ眺めているだけではなく、中身を取り出します。ところが、多くの人々が神のくださったプレゼントの箱を開けず、ただ眺めているだけなのです。キリストこそ世界中のすべての人の救い主として神がお与えになったプレゼントなのに、多くの人々がこのプレゼントの中身を味わおうとせず、キリスト抜きのクリスマスを楽しんでいます。
 羊飼いたちは、神から与えられたこのプレゼントの箱を開けました。彼らは「救い主キリストがお生まれになった」という喜びの知らせを、ただ聞いただけではなく、その出来事を見届けようと、ベツレヘムまで行ったのです(15節)。
 羊飼いたちに与えられたしるしは、「飼葉桶に寝ているみどりご」でした(12節)。ディズニーランドなどと違い、家畜の餌を入れる飼葉桶というのは、世の人々にとって夢がないように感じるかもしれません。
 世の人々の教会に対するイメージも、「堅苦しい」「夢がない」「楽しくない」といったものかもしれません。けれども、どんなに夢があって楽しそうでも、手の届かないところにあったら、プレゼントを受け取ることができません。飼葉桶というこの世の最も低いところまで下って来てくださったので、羊飼いのような身分の低い人でも、神からのプレゼント、救い主キリストにお会いすることができたのです。
 羊飼いたちは、御使いに告げられたとおり、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てました(12節.16節)。彼らは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったのを体験したのです(20節)。
 私たちはみことばのごとくにみわざが行われるのを体験しているでしょうか。聖書に記されているみわざを知識として知っているのと、実際に体験するのとは異なります。キリストを信じてはいても、本当の意味で、神がくださったプレゼントの中身を味わっていない、ということはないでしょうか。
 神のプレゼントの箱を開けることは、難しいことではありません。それは手の届かないところにあるのではなく、羊飼いでも応答できるほど身近なところにあります。背伸びをしなくても、私たちの生活の中でその箱を開け、神の招きに答えていくことができるのです。羊飼いたちが御使いに告げられた出来事を見届けようとベツレヘムまで行ったように、私たちもみことばの約束を握って踏み出してまいりましょう。神がくださったプレゼントの箱を開けて、主のみわざを体験し、救い主なる主をさらに深く味わってまいりましょう。