2024年1月14日 メッセージ要旨
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                    賜物を主のために用いて

                                          ルカの福音書 19章11~27節                                                                                                                                       
    
  最初のしもべが進み出て言った。「ご主人様、あなた様の一ミナで十ミナをもうけました。」

                   
             ルカの福音書 19章16節                                                                 
 キリスト者は主が再臨なさる日まで、賜物を主のために用いて活用することが求められています(13)。十ミナ、五ミナをもうけたしもべは(16節.18節)、賜物を用いて何倍もの実を結ぶ人を表しています。しかし、別のしもべは一ミナを布に包んでしまっておきました(20節)。主人を無理な要求をする人だと誤解していたのです(21節)。けれども、主はそのような方ではなく、「しなさい」と命じられるとともに、なしうる力をも与えてくださるのです。

 与えられた一ミナはしもべの物ではなく、主人から預かった物です。けれども、しもべは主人の益のためにその一ミナを銀行に預けることすらしませんでした(23節)。このしもべは一ミナを失うことを恐れて、自分のもとから手放すことができなかったのです。

 賜物は神から預かったもので、裁量権は本来神にあります。ご計画に用いられるはずの賜物の裁量権を自分が握っていては、実を結ぶことができません。良いしもべが忠実であったことをほめられているように(17節)、自分を神に明け渡し、みこころに忠実に賜物を用いることで、私たちは実を結ぶのです。

 裁量権を主に明け渡すということは、主を王としてお迎えするということです。主を心の中心にお迎えしないなら、主が王になるのを望まない人々と同じなのです(14節)

 しもべは、「怖かったのです」と言っていますが(21節)、神は理不尽な方ではなく、いつくしみ深く、良くしてくださるお方です(詩篇119篇68節)。忠実に歩む者を祝福し、豊かな恵みを与えてくださるのです。

 怖がって一ミナをしまっておいたしもべは、その一ミナを取り上げられてしまいます(24節)。失敗を恐れて何もせず賜物をしまっておくと、その賜物を失ってしまうのです。筋肉にせよ、頭脳にせよ、才能にせよ、使わないでいたら衰えます。賜物も用いないでいたら、やがて失われていくのです。

 一ミナは一タラントに比べたら六十分の一という小さな額です。しもべは一ミナでは預かっていないに等しいと見、軽視したのです(21節)。持っていないも同然と考えたしもべは、持っている一ミナまでも取り上げられてしまいました(26節)

私たちの賜物も、小さく見えても、持っていないも同然と考えて軽視してはいけないのです。賜物を預かっている、持っていると受けとめて、その賜物をみこころに忠実に活用していくなら、十ミナ五ミナもうけたしもべのように、私たちも豊かな実を結びます。「持っている者はさらに与えられ」(26節)とあるとおりです。

 私たちがやがて主の前で賜物をどのように用いたかを問われるとき(15節)、賜物を主のために活用し、豊かな実を結ぶことができましたと報告することができるように、そして、「良くやった、忠実であった」と主から言っていただけるように、歩んでまいりましょう。