2023年9月3日 メッセージ要旨
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                       主の御名をほめたたえよ

                                          詩篇113篇1~9節                                                                                                                                       
    
   ハレルヤ。主のしもべたちよほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。
                                                           
                                     詩篇113篇1節
 

 神はすべての国々の上に高くおられ、その栄光が天の上にある(4節)、ほめたたえられるべき方です(1節)

 その高い御位に座しておられる神が(5節)、身を低くして天と地をご覧になり(6節)、弱い者をちりから起し、貧しい人をあくた(灰捨て場)から引き上げられます。灰捨て場は、当時、疫病や貧困などで村八分にされた者が、昼は施しを求め、夜は太陽の熱で暖かくなった灰の中に身を埋めて暖をとる場所だったのだそうです。神は彼らを引き上げて、高貴な人々とともに座に着かせられます(8節)。神は卑しめられている者に心を留められ、顧みてくださるのです。

 7~8節は、ハンナの祈りからの引用です(サムエル記第一2章:8節)。不妊のため子どもがいなかったハンナに神が心を留めてくださったので、彼女は身ごもって男の子を産み、預言者サムエルの母となりました(サムエル記第一1)。ハンナは「三人の息子と二人の娘を産んだ」と記されています(サムエル記第一2章21節)。神は子のいないハンナを、子を持って喜ぶ母としてくださったのです(9節)

 「家に住まわせてくださる」(9節)とあるのは、理不尽なことに、当時、不妊の妻は離縁されて家を追われることもあったからです。神は弱い立場に置かれている人に心を留められ、顧みてくださるのです。

 神は私たちに心を留めてくださり、灰捨て場のように哀れで貧しいこの世から救い出して、高貴な御国の民としてくださいました。そして、そのために、神は身を低くされたのです。すなわち、ひとり子の神であるキリストが、身を低くして人として世に来られ、私たちの罪を負って十字架に死なれ、よみがえられて、私たちに罪赦され神と和解する救いを与えてくださったのです。

 「あのアスリートが・・・あのアーティストが・・・」と人々はほめたたえます。しかし、「だれが 私たちの神 主のようであろうか」と問われています(5節)。神は天地の造り主、だれも神に並ぶことなどできません。御子キリストは私たちを救うために十字架にいのちを捨ててくださいました。このような愛はだれも持っていません。アスリートでもアーティストでもない、恵み深い主こそ、ほめたたえられるべき方なのです。人が何かをほめたたえずにはいられないのは、他でもない神をほめたたえるように造られているからです。

神は人にほめたたえられずとも、もとから栄光に満ちておられる方です。「主をほめたたえよ」と何度も勧められているのは、私たち人間のためなのです。主をほめたたえることは、恵み深く偉大な主に思いを向けるのに役立ちます。他のものに目が奪われると、私たちの目は神を片隅に小さく映してしまいます。神を賛美することで、他のものに向いていた焦点を神に合わせ、神を大写しにしてあがめるようになるのです。

神を賛美し、ご臨在を仰ぐことで、私たちの心は御前にある喜びに満ち足ります。御名をほめたたえ、主を仰いでまいりましょう。