2023年9月17日 メッセージ要旨
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                       聖霊に心を支配されて

                                          使徒の働き 8章14~25節                                                                                                                                       
    
 主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。                             
                                     歴代誌第二 16章9節(抜粋)
 

 イエス・キリストの御名によってバプテスマを受ける人は皆、賜物として聖霊を受けると約束されていますが(2章38節)、バプテスマを受けていたサマリアの人々に、まだ聖霊が下っていませんでした(16節)。神は使徒であるペテロとヨハネがエルサレム教会から遣わされるまで、サマリアの人々に聖霊が下るのを差し止めておられたのです(14節)。ペテロとヨハネの働きを通してサマリアの人々に聖霊が下ります(15節.17節)。そうすることで、神はサマリアの人々がエルサレム教会の人々と同じクリスチャンの一員として組み入れられたことを、二人の使徒に確認させたのです。

 使徒たちが手を置くことで御霊が与えられるのを見たシモンは、聖霊の力を人間の手で自由に操ることのできる魔術のごときものと誤解し、その力を金で手に入れようとします(18~19節)。しかし、聖霊は神の賜物なのであって、お金で手に入るものではなく(20節)、まして、シモンに操られる、彼の言いなりになる力などではないのです。

シモンは信じてバプテスマを受けてはいましたが、彼が関心を向けていたのは主の福音ではなく、ピリポを通して行われるしるしと大いなる奇跡で(13節)、そのような力を自分も得たいと考えていたようです。使徒たちが手を置くことで御霊が与えられるのを見た彼は、その力をも得ようとしました。

魔術を行ってサマリアの人々を驚かせ、自分を偉大な者としていたシモンは(9節)、同じ野心から、聖霊の力を求めました。けれども、本来なら彼自身の心が御前に正しく、きよくされ、全く新しくされるために聖霊の恵みを求めるべきだったのです(21節)

人の目は偉大なみわざに関心が向きがちですが、いたずらに大きな働きをしようと御力を求めるその背後に、シモンのように自分の栄誉を求める心が潜んでいるかもしれません。自分の心が神の前に正しいかどうかをよく吟味し、きよくされるために聖霊を求めるべきなのです。

 復活なさったイエス様が、天に上げられようとしている場面に至っても、ローマに支配されているイスラエルの国を再興することが、弟子たちにとっての神の国でした(1:6節)。彼らはイエス様が世の王たちのように宮殿の王座に着きさえすれば、世界中に大変革がもたらされると思っていたのです。

 しかし、神の国はそのようにしてもたらされるのではありません。聖霊に満たされ、聖霊に支配された弟子たちの心のうちに、また交わりのうちに、神の国が訪れました(2)。イエス様は宮殿の王座にではなく、弟子たちの心の王座に着かれたのです。そうして主の御霊に支配され、きよくされた弟子たちの心のうちから、神の国は世界へと広がって行きました。

 聖霊に支配され、心が主と全く一つになっている人々に御力は現されます(歴代誌第二16章9節)。心が御前に正しくあるかどうか常に吟味して、聖霊の支配に自分を明け渡し、主の栄光を映し出す者として歩んでまいりましょう。