2023年7月16日 メッセージ要旨
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                       雀の一羽にまで及ぶ神の摂理

                                          マタイの福音書 10章29~31節                                                                                                                                       
    
 
そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。                                      マタイの福音書 10章29節(抜粋)                                                                                                                                                    
 神は万物を創造された主権者としてすべてを支配し、あらゆる出来事や営みに介入し、世界を導き治めておられます。そのような神の主権者としての活動が摂理と言えます。

 神の摂理は、聖書に明確に示されています。例えば、ヨセフが兄弟たちに、「私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです」と言っているように(創世記45章8節)、兄弟たちがヨセフをエジプトに売るという出来事の背景に、そのことを用いてヨセフをエジプトに遣わす神の摂理があったことが示されています。

 雀の一羽でさえ、神の許しなしに地に落ちることはありません(29節)。そのような小さな存在にすら、神の支配が、摂理が及んでいるのです。神がお造りになったこの世界に、神の配慮から漏れるものは何もないのです(詩篇145篇9節)

 人は自分のことは自分が一番よく知っていると思うものですが、実際には、自分について知らないことも多々あります。髪の毛の数も自分で知ることはほとんど不可能です。

 しかし、神は私たちの髪の毛の数さえもすべて数えて知っておられます(30節)。神は私たちについて細部に至るまでことごとく知っておられます。神には知り得ないことなど、何一つないのです。

 ですから恐れてはいけません(31節)。自分の未来にどんな日々が待っているのかは誰にもわかりませんが、神はすべてのことを知っておられます。私たちに何が必要で、私たちがどのように進んで行くべきなのかは、神が一番よく知っておられるのです。

 逆境に立たされると、神の御手に守られていることを忘れがちになります。その御手は肉眼で見えるわけではありません。信仰の目で仰ぎ見ることで、神の摂理の中で守られていると知ることができるのです。

 私たちが罪赦され、神を親しく「父」と呼ぶ者とされるために(29節)、キリストは十字架の上で私たちの罪を負われました。神は私たちをご自分の子どもとするために、御子を与えてくださったのです。私たちは多くの雀よりも価値があります(31節)。一羽の雀にさえ神の保護が及ぶのなら、神の子どもとされた私たちを神が守ってくださらないことなどないのです。ですから、神に信頼して、その摂理に自分をゆだねて、平安を持って歩んでまいりましょう。