2023年5月7日 メッセージ要旨
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                    心の目が開かれるために

                                          マルコの福音書 10章46~52節                                                                                                                                       
    
 イエスは彼に言われた。「わたしに何をしてほしいのですか。」すると、その目の見えない人は言った。「先生、目が見えるようにしてください。」 
                                                                                                                                           マルコの福音書 10章51節
 

 目のみえないバルティマイは、見えるようになることを求めてイエス様を叫び求めます(46~48節、51節)。見えない目を見るようにしてもらえるとしたら、誰でも切実になります。しかし、心の目が見るようになることを、誰もが切実に求めるでしょうか。

 信仰を持ってイエス様を求めたバルティマイが、見えるようになったように(52節)、キリストを信じる人は、心の目が開かれるのです。光である神との関係が罪によって絶たれている世の人の心の目は、闇に覆われています(ヨハネの手紙第一1章5節、イザヤ書60章2節)。しかし、キリストが人々の罪を負って十字架に死なれ、よみがえられたので、キリストを信じる人々は罪赦され、光である神との関係が回復されて、心の目が開かれるのです。

 キリストを信じる私たちは、心の目が開いていただきました。しかし、その心の目は、はっきりと見えているでしょうか。私たちは、聖徒たちが受け継ぐ神の国の栄光を仰ぎ見ているでしょうか。心の目がはっきりと見えていなければ、栄光に富む御国の輝きを知ることができないのです(エペソ人への手紙1章18~19節)。

 導く人の目がはっきりと見えていなければ、危険な方に平気で導いたり、とんでもない所に迷い込ませたりしてしまうかもしれません。私たちは、心の目が閉ざされている世の人をキリストのもとへと導く世の光です。その私たちの心の目がはっきりと見えていなければ、御国の栄光を仰ぎ見ることができず、世の人を道ぶくどころか、世の人とともにこの世を仰ぐことになりはしないでしょうか。

 光である主に背を向けていては、いのちの光を受けることができません。主を仰ぎ見て従う、光である主との良い関係を持つ人が、いのちの光を得て心の目がはっきりと見えるようになるのです(ヨハネの福音書8章12節)。ですから主に信頼して従ってみりましょう。バルティマイも、道を進むイエス様について行きました(52節)。

目が見えるようになることを切実に求めたバルティマイのように、私たちも心の目がはっきりと見えるようになることを求めて、光である主を仰いで従ってまいりましょう。そして、世の光として世の人を導く役割を果たしてまいりましょう。