2023年5月21日 メッセージ要旨
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                    しもべの姿に隠れている栄光

                                          ルカの福音書  9章 28~36節                                                                                                                                       
     
   すると雲の中から言う声がした。「これはわたしの選んだ子。彼の言うことを聞け。」                                                                                                                                ルカの福音書 9章35節
 

 ペテロとヨハネとヤコブを連れて登られた山で、イエス様の御姿が変わり、ひとり子の神としての隠れた栄光が現れました(29節)。そして、モーセとエリヤが栄光のうちに現れ、光り輝くイエス様と語り合っていました(30~31節)

栄光に満ちたこの光景は、祈りによって現れました。イエス様の祈りによって天が開かれたのです(28~29節)。私たちは祈りのうちに天の栄光を拝しているでしょうか。

 モーセとエリヤがイエス様と話していたのは、イエス様がエルサレムで遂げようとしておられる最期、すなわち十字架の死についてでした(31節)。その受難の予告をイエス様から聞いていた弟子たちは、非常に困惑していたに違いありません(22節)。しかし、モーセに表される律法と、エリヤに表される預言者、すなわち旧約聖書が、贖いの死を遂げるメシアを支持しているのです。

 ペテロが幕屋を造ると言ったのは(33節)、そこにイエス様を栄光の御姿のまま留まらせようとしたからでしょう。イエス様の受難予告に困惑していた彼は、そのような道に進むより、このすばらしい栄光の中にいつまでも留まっていたいと思ったのでしょう。

 しかし、ペテロの誤りは退けられ、栄光の御姿のイエス様とモーセとエリヤを雲がおおいます(34節)。この雲は神の臨在を示す雲です(出エジブト記40章34~35節)。その雲の中から言う声、すなわち神の御声が、「これはわたしの選んだ子。彼の言うことを聞け」と仰せになり(35節)、十字架の死を遂げてよみがえられるイエス様こそ、ご自分が選ばれたメシアであることを示されたのです。

 この山でイエス様の栄光の御姿が現された理由の一つは、イエス様の受難予告に困惑する弟子たちの信仰を励ますためであったと考えられます。三人の弟子は、しもべの姿に隠れているイエス様の御子としての栄光を拝し、「彼の言うことを聞け」と仰せになる神の証言を聞くことができたのです。

 モーセとエリヤも地上で自分の十字架を負って神に従い、苦難の多い道をたどりました。ペテロも栄光の山から降りて、十字架の道を進まれるイエス様に従って行きました。御国へと進む私たちも、日々自分の十字架を負って主に従うのであり(23節)、そこにはさまざまな労苦があります。けれども、受難の道を行くイエス様が神の御子としての栄光を帯びていたように、主に従う私たちも輝く御国の栄光を帯びているのです。主が再び来られるとき、私たちも栄光の姿に変えられて輝く御国にあずかります。その御国の輝きを今私たちはうちに帯びている、そのことを信仰の目で仰ぎつつ主に従ってまいりましょう。