2023年4月9日 メッセージ要旨
メッセージ      Home
                                                             イースター礼拝 

                    神はどこにおられるのか

                                          詩篇  115篇 1~18節                                                                                                                                       
    
       なぜ国々は言うのか。「彼らの神はいったいどこにいるのか」と。
                                                                                                                               詩篇 115篇2節
 

 天と地を造られた創造主である神は(15節)、いかなる被造物にもかたどることのできない方です(出エジブト記20章4~5節)。神はどんな形の肉も持たない霊であり(申命記4章15~16節. ヨハネの福音書4章24節)、目に見えない方なのです(テモテへの手紙第一6章16節)

 神を知らない人々は、目に見える偶像に頼りますが、物質に過ぎず、生きていない偶像は、何の助けにもなりません(4~7節)

 それに対して神は、生きて働かれる方です(3節)。私たちの苦しみをご覧になり、祈りを聞かれ、みことばを語ってくださいます。

 木や石や金銀で造られた像だけでなく、富や名誉や地位といったものも偶像としてあがめられています。偶像は「人の手のわざ」です(4節)。世人は目に見えない神よりも、目に見える人の手のわざをあがめているのです。

 偶像がいのちのない物体であるように、それに信頼する者も霊的に死んでいます(8節)。人の手のわざをあがめる多くの世人も、生ける神から離れて霊的に死んでいるのです。

 人の手のわざがあがめられ、その名が世にとどろいたところで、何の救いにもなりません。救いは、神の御名のもとにあります。天地の造り主である神の御名に栄光を帰すことが、本来の被造物のあり方としてふさわしいのです(1節)

 恵みとまことの神は(1節)、罪と死の力に支配される世人を救うために、御子キリストを与えてくださいました。キリストの十字架と復活によって、罪赦され、神と和解する救いの道を、信じる人々に開いてくださったのです。

 ひとり子の神キリストが人となられて、目に見えない神を説き明かされました(ヨハネの福音書1章18節)。キリストの十字架に、神の愛と恵みが現されています。キリストの復活に、神のいのちの御力が現されています。キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っているのです(コロサイ人への手紙2章9節. ヨハネの福音書14章:9節)

 神は天におられ、復活の主も神の右におられます(3節)。けれども、「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません」と主は言っておられます(ヨハネの福音書14章18節)。人の目には見えなくても、神の御霊が、復活の主の御霊が、私たちのうちにおられ、生きて働いておられるのです。神は、信頼する者たちを助け、守り、祝福してくださいます(11~12節)。そして、主を信じる民を増やしてくださいます(14節)

 滅び行くこの世をあがめる人は、自らも滅び行く人となります。神に背を向け、霊的に死んでいるので、神をほめたたえることができないのです(17節)

 しかし、神が永遠に生きておられるように、主を信じる人々は死を乗り越えて主のもとで生き続け、主の復活のように、やがて栄光の姿によみがえります(18節)

 私たちは、今、冬の間の落葉樹のような存在です。見た目は枯れ枝のようでも、目に見えない神のいのちが注がれているのです。春が来ると落葉樹に花が咲き、新緑が芽生えるように、私たちも時が来ると主と同じ栄光の姿に変えられるのです。

 「彼らの神は いったいどこにいるのか」と世は問うでしょう。しかし、生ける神が、復活の主が、私たちのうちにおられ、生きて働いておられます。主を信頼し、主に助けられ、守られ、主の祝福のうちを歩んでまいりましょう。