2023年4月2日 メッセージ要旨
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                    主が示される向こう岸へ

                                          ルカの福音書 8章22~25節                                                                                                                                       
    
 イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、弟子たちは舟を出した。
                                                                                                               ルカの福音書 8章22節(抜粋)
 

 弟子のうち漁師であった者たちは、ガリラヤ湖に周囲の山から突風が吹きおろすのをよく知っていたでしょうから、多少波が荒れる程度では動揺することはなかったでしょう。その彼らが「死んでしまいます」(24節)と訴えたのですから、この嵐は彼らの経験を上回る非常に大きなものだったのです。

 しかし、イエス様が風と荒波を叱りつけられると、嵐は静まり、凪になりました(24節)。イエス様がどういう方なのか(25節)、弟子たちはその理解を、この嵐をとおして深めることになりました。彼らが「先生」と呼んでいるイエス様は(24節)、単なる先生ではなく、人間の力ではどうにもならないはずの風や荒波など、大自然をも治める力を持つ方であることを彼らは知ったのです。

 弟子たちは嵐の中、眠っておられるイエス様を起こしましたが、眠っていたのはむしろ彼らの信仰だったのです(25節)。その信仰がこの嵐をとおして呼び起こされます。風や波でさえ静める力を目撃したことで、イエス様に対する弟子たちの信仰は、より深まったことでしょう。

 私たちも様々な困難にあいますが、その困難をとおして、主の救いの御力を知ることになり、私たちの信仰もより深まって行くのです。

 イエス様が弟子たちに示された湖の向こう岸は(22節)、悪霊につかれて墓場に住む男がいる場所でした(26節以下)。天におられる神にとって、罪深いこの地上は、まさに向こう岸でありましょう。しかし、神は御子を遣わして、向こう岸であるこの世に救いの御手を差し伸ばし、愛を示してくださったのです(ヨハネの福音書3章16節)

 キリストは口先だけで愛されたのではありません。行いと真実をもって、からだを十字架につけて、神の愛を私たちに与えてくださったのです(ヨハネの手紙第一3章:18節)。すなわち、十字架の上で私たちの罪をその身に負われ、私たちに、罪赦され、神と和解し、神の愛の中を歩む救いの道を開いてくださったのです。

 信じてその愛を受けた私たちには、向こう岸で苦しむ世の人に福音を届ける使命が担わされています。弟子たちが嵐にあったように、そこには様々な困難があります。救われる人がなかなか起されない日本において、主が眠っておられるかのように、その働きが見えづらい環境に私たちは置かれています。けれども、「向こう岸へ渡ろう」という主の仰せに応じて行くなら、私たちは主の救いの御力を知ることになり、私たちの信仰は深まるのです。

 「向こう岸へ渡ろう」という主の仰せに従って、世の人のもとに主の愛を携えてまいりましょう。