2023年3月19日 メッセージ要旨 | ||||
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砂漠にある水の流れ、オアシスとして イザヤ書 32章1~2節、15~18節 |
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彼らはそれぞれ、風を避ける避け所、嵐を避ける隠れ場のようになり、砂漠にある水の流れ、乾ききった地にある、大きな岩の陰のようになる。 イザヤ書 32章2節 |
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御霊が働かれると地の面は新しくされ(詩篇104篇30節)、いのちに満ちた、公正と義の住む平和な世界へと変えられます(15~18節)。 その世界の変容は、人の内側から始まるのです。主を信じる人の心の奥底から、御霊が川のように流れ出て、乾いた荒野のようなこの世を潤して行くのです(15節.ヨハネの福音書7章38~39節)。 エゼキエル書47章には、神殿から流れ出た川が、砂漠のような荒れ地に木々を生い茂らせ、果樹を実らせ、生物の存在しない死海を多くの生物が群がる海へと変える幻が記されています。私たちは聖霊の住んでおられる神殿です(コリント人への手紙第一3章16節)。神殿である私たちから流れ出た聖霊の川が、荒れ果てた世界に祝福といのちをもたらすのです。 偉大なみわざが行われないかと、私たちの目は外側に向きがちかもしれませんが、いのちの泉、聖霊の川が湧きあがる心を見守ることが大切なのです(箴言4章23節)。 王であるキリストに仕える私たちは(1節)、砂漠にある水の流れのような存在です (2節)。キリストは私たちをとおして世人をご自分のもとにある安息へと招いておらます(マタイの福音書11章28節)。オアシスを求めて世人が私たちのもとに来るとき、安らぎを与えるどころか、かえって傷つけて、つまずかせてしまうことがないようにしなければなりません。 心に満ちているものが表に出て来るのです。心の倉が悪い人は、良い物を出すことができません。心が聖霊に、神の愛に満たされている人は、その心の良い倉から良い物を出し、主のもとにある安息を与えるオアシスとなります(ルカの福音書6章45節)。 空腹だったイエス様の弟子たちが、麦の穂を摘んで食べたのを、安息日にしてはならないことをしていると言って、パリサイ人たちは責めました。彼らは、律法を厳格に守っていながら、その神髄である神と人への真実な愛を見失っていたのです(マタイの福音書12章1~8節)。 神への熱心を装っているだけで、心は神から遠く離れていたパリサイ人たちの状態は、掃除されてきちんと片付いている空き家のように、悪魔に入り込むすきを与えていたのです。彼らは救い主に背を向けて、十字架の死にまで追い込でしまいます(マタイの福音書12章14節.43~45節)。 神への愛が薄れ、信仰が形骸化していないか、心が神から離れて、別のものに向いていないか、心を見守る必要があります。そこから、聖霊の川が流れ出て、世に祝福をもたらすのです。地の面を新しくする聖霊のみわざは、私たちの内側から始まるのです。 絶えず主を慕い求め(詩篇105篇4節)、聖霊に満たされ、愛に満たされ、砂漠にある水の流れとして、オアシスの役割を果たしてまいりましょう。 |
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