2023年3月12日 メッセージ要旨
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                    二ネべの人々を惜しまれる神

                                            ヨナ書 3章1節~4章11節                                                                                                                                       
 
  神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます                                                                                                                     テモテへの手紙第一 2章4節
 
 ヨナが神に従ってアッシリヤの都二ネべで宣教すると、彼らは神を信じて悔い改めました(3章5節)。二ネべに大リバイバルが起こったのです。

 ところが、二ネべの人々にわざわいを下すのを神が思い直せれたことで(10節)、ヨナは不愉快になります(4章1節)。やがて北イスラエルはアッシリヤによって滅ぼされてしまいます(列王記第二17章)。ヨナにとって、自分の国であるイスラエルの滅亡にかかわるようになる二ネべを、神がお赦しになるということは、受け入れ難いことだったのです。 

荒れ狂う海から救い出された時、ヨナは神の憐れみに感謝の声をあげたのですが(2章9節)。同じ神の憐れみが二ネべに臨んだことで、ヨナは不愉快になりました。しかし、神の憐れみは、ヨナの都合の良いように働くものではないのです。

 ヨナは初めタルシシュへの逃避を試みて、神の憐れみが二ネべに臨むのを阻止しようとしました(4章2節)。しかし、そのように神の愛を制限しようとするヨナの試みに、神が縛られることはありません。神は主権者であられ、その憐れみは偏ることなく誰にでも注がれるのです(詩篇145篇9節)。

 ヨナは仮小屋を造り、神が二ネべに報復してくださるかどうかを見極めようと、そこにとどまります(4章5節)。

 すると神は一本の唐胡麻をヨナの上を被うように生えさせ、強い日差しからヨナを守る陰としてくださいました。ヨナはこの唐胡麻を非常に喜びましたが(6節)、翌日の夜明けに、神が備えられた一匹の虫がかんで、唐胡麻は枯れてしまいます(7節))。

 神は唐胡麻を生えさせ、枯らすことで、いのちを与え、取り去るご自分の示しておられます。悔い改めるため、二ネべの人々を憐れむ神と、そのことを不愉快に思うヨナとの間に、大きなずれが生じているのは、ヨナが自分の主観で物事を見ているからです。神との一致を得るには、主権者である神の視点に合わせて物事を見せなければなりません。

 二ネべの人々を惜しまれる神の視点を得させるため、神はヨナが非常に喜んでいた唐胡麻を枯らしてしまわれた。ヨナは一夜で生えて一夜で枯れた唐胡麻を惜しみましたが(10節)、まして神は、二ネべの多くの人々が滅んでしまうのを惜しまないでいられないのです(11節)。

 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。キリスト教は、十字架の上で人々の罪を負い、罪赦されて神と和解する救いの道を開いて、すべての人を招いておられるのです(テモテへの手紙第一2章4~6節)。

 日本のクリスチャン人口は1%にも満たないと言われていますが、主を知らない日本の多くの人々を神は愛し、惜しまずにはいられず、その人々を救われることを望んでおられるのです。この神の視点に立って、あきらめずに、人々を主のもとへと導いてまいりましょう。