2023年11月5日 メッセージ要旨 | ||||
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凱旋の行列の中を行くキリスト者 コリント人への手紙第二 2章12~17節 |
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しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。 コリント人への手紙第二 2章14節 |
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パウロは、コリントの教会に厳しい叱責の手紙を(4節)、送りましので、コリントの教会は、どのように受けとめるのだろうかと、大変案じて、テトスの報告をトロアスで待ちわびていましたが、彼に会えなかったので、パウロは心に安らぎがありませんでした(12~13節)。
トロアスでは伝道の門が開かれていましたが(12節)、コリントの信者のことを考えると気が気でなかったのでしょう。パウロはテトスに会うためにマケドニアに向けて出発します(13節)。 しかし、そのような不安や苦難のただ中にあって、世に勝利なさったキリストの凱旋行列の一員として、キリスト者は常に勝利の道を進んでいるのです(14節. ヨハネの福音書16章33節)。 弱く、恐れおののき(コリント人への手紙第一2章3節)、全く安らぎがなく、あらゆることで苦しんでいたパウロの姿は(7章5節)、凱旋行列の一員とはほど遠いものとして映ったことでしょう。しかし、実際には肉眼には見えないキリストの凱旋行列の中にあって彼は進んでいたのです。 事実、パウロは不安を抱いて向かったマケドニアでテトスに会い、彼からコリントの信徒が悔い改めたという良い知らせを聞きます(7章6~9節)。目に見える状況がどうであっても、勝利をもたらす神のご計画は着々と進んでいるのです。 古代ローマの凱旋行列でたかれた香は、凱旋する者にとって勝利の香りである一方、捕虜にとっては、奴隷や処刑の運命を示す滅びの香りであったでしょう。 同じように、キリストの凱旋行列を行く私たちが放つキリストの香りは、拒んで滅びる人々にとっては、死に至らせる香りとなり、信じて救われる人々にとっては、いのちに至らせる香りとなります。そのような生死をわける厳粛な務めにふさわしいあり方とは(16節)、神に献げられた芳しいキリストの香りとして(15節)、御前に誠実に生きることなのです(17節)。 キリスト者にはさまざまな苦難がありますが、そのただ中にあって、キリストの凱旋行列の一員として、常に勝利の道を進んでいます。そのことを信仰の目で仰ぎ見てまいりましょう。 |
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