2021年3月7日 メッセージ要旨
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                     良い実を結ばれるための手入れ

                                          イザヤ書 5章1~7節
                                                                                                                                   
     
 すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。
                                  
                                   へブル人への手紙 12章11節 
 
  農夫が畑を耕し、石を除き、作物に肥料をやって手入れをするように、神は、イスラエルの家を愛して手入れをし、良い実を結ぶのを心待ちにしておられましたが、その期待とは反対に、ユダの人は酸いぶどうのように悪い実を結んでしまいました(2節.4節)。それは、彼らが主のおしえをないがしろにし、そのことばを侮ったからです(24節)

 神は、そのようなユダの人を、荒れすたれるに任せます(5節)。自己本位な歩みは、自由で気ままなように見えて、その実、手入れされることのない草ぼうぼうの空き地のように荒れ果ててしまうのです(6節)

甘いトマトを実らせるために、与える水を最小限にしているのを、テレビで見たことがあります。水をたっぷり与えて甘やかすより、逆境によって鍛えた方が甘い実が成るというのです。水や肥料を与えるだけが手入れではない。水や肥料を与えすぎたり、与え方を間違ったりして、かえって害になることもあります。適度に逆境を与えることも手入れの内なのです。

同じように、神は、良い実を結ばせるために、逆境によって私たちを訓練なさいます。喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われる一つ一つのことが、酸っぱい実を結ぶ生まれつきの野生種から、甘い実を結ぶ純良な栽培種に改良するための、神の手入れなのです(へブル人への手紙12章10~11節)

 イザヤ書5章は、ぶどう畑についての愛の歌で始まっています(1節)。神は私たちを愛する子として訓練されるのです。神は私たちをご自分の子とするために、御子さえも惜しむことなく与えてくださいました。私たちが罪赦され、神との平和を得て救われるために、キリストが十字架にいのちを捨ててくださいました。そこに神の愛が示されています。良い実を結ばせようと私たちを訓練なさる神の愛を覚えて、どのようなときも神を信頼しましょう。

「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」とあります(ガラテヤ人への手紙5章22~23節)。そのような神と人とを喜ばせる良い実を結ぶことができるよう、神に従ってまいりましょう。