旅人夫婦のプロフィール
このページの作者(私:妻)について
若いころ取った資格:臨床検査技師、栄養士。
勤務経験は臨床検査技師で病理という少しマイナーな分野の技師だった。栄養士としては無経験。寿命が縮んでも食べたいものを食べたいという人を説得できる
自信なし。自分も美味しいもの、好きなものを食たいから。
40代で取った資格。:マイクロソフトオフィシャルトレーナー(MOT) Word 2002 Excel 2002
資格を取った経緯。チョット興味のあったパソコンの学習をしようと、パソコンスクールに通い、生徒の期間終了間際にスクールからIT講習の
補助講師をやらないかと言われ、やってみたら楽しかったから。人に教える方の資格を取ろうと、それからは独学でMOT資格を取る。
MOT資格を使ってやった仕事:高等学校で情報教育アドバイザー、パソコンスクールインストラクター
どちらも短期間で終わってしまった。その後はそこまでパソコンの知識の必要でない仕事をパートでやっておりました。
好きなもの : 動物。
大学の時、卒論を“ニホンザル”について書く。本当は臨床検査技師国家試験があるので担当教授がたは、卒論は禁止と言っていた。が、同じ臨床検査技師
コースの人が動物研究室に潜り込んだと聞き、私も〜っと入る。大学で卒論なしって、それじゃ大学じゃないでしょ。
多摩動物公園のサル山に張り付いて、サルの顔を覚え(本当は見分ける方法がある)、サルに浸って大学4年生を過ごす。単位は認められない卒論だったけれど楽しかった。
もう一つはまったもの: “ベルサイユのばら”にはまり、高校時代を過ごす。歴史の学習は1789年のフランスから広がっていった。
歴史は世界史も日本史も好きだけれど、ダンナの知識には及ばない。(特に日本史は)
最後に性格は:細かいのかおおざっぱなのか、自分でも分からない。旅に関しては細かい。調べこむ。だけど、家の中の物品が細かく
管理されているかと言えばそうではない。家計簿も今はおおざっぱにつけているけれど、長らくやっていなかったし。
何かにはまるとトコトンっていう所はある。何かにはまっていられる時は、楽しいし絶好調。
旅の運転手、ダンナについて
年齢。私+8歳と5ヶ月(これを九つ離れているとは決して言ってはいけない)
年が少し離れている分、私には甘いというか喧嘩にならない。私がキーキー言っても受けが大きいというか、受け流される。
職業だったもの(今は定年退職):海外担当営業
製鉄所で使う馬鹿でかい産業用の機械の営業担当で、世界中を飛び歩いていた。出張日数が年間総計で半年を超えたこともあった。
ダンナを襲った一大事: 病気
ダンナが52歳の時だった。仕事がとても忙しくてブラジルとアメリカで難しい案件を抱えていて、両方を行ったり来たりで3ヶ月以上も
日本に帰ってこなかった。電話で話す声がしゃがれ声でおかしくて。ブラジルのドクターが異常を教えてくれた。優秀だった。
ダンナの声帯の上に小さなゴマ粒大の癌ができていた。日本で受けた処置は鼻から内視鏡を入れて癌のみを切除する手術。それから辛い放射線療法を
受けたけれど、3ヶ月後に再発。声帯を含む喉頭の除去手術となった。生来の声をこれで失う。
でも、ダンナは頑張って食道発声法を習得した。食道発声法は器具を使わずに発声できる方法だけど、チャレンジした誰もができるものでもない。
発声できるかは手術の具合にもよるのだが、ダンナは短期間に習得して会社に復帰して定年まで勤めあげてくれた。
喉頭全摘術を受けた時、食道発声法に取り組んだ時、ダンナはとっても強かった。看護師さんに感心されたもの。
自身に降りかかった人生最大の難局を乗り切って、家族を支え続けてくれた強靭な精神力を妻・私は尊敬している。
ダンナの話す食道発声法での声は、チョット聴きづらい時もあるけれど、誇らしい素晴らしい声だと思っている。
最後に性格は: 強い精神力を持ち、かつ他人に(妻も含む)優しくあれる人。多少、石頭(息子に対する態度など:自分の思い込みを
変えない、流行を否定する)
夫婦で力を合わせ乗り切ってきたこと、頑張っていること:親の介護
ダンナのお母さんの時: 1988年くらいから1996年まで。
我々は新婚当初は別所帯で暮らしていたのだが、ダンナのお父さんが亡くなってから家を改築し、ダンナのお母さんと2世帯住宅で同居していた。
同居が始まって、それほど経たない頃から、お母さんの様子がおかしくなり、パーキンソン病と判明。徐々に病状が進行する病気で、軽度の認知症も
合併。転びやすいのに外に行きたがる傾向にあり、いつの間にか外出して転んで救急車で運ばれたりと目が離せない。1.2階の2世帯だったけれど、2階で
小学生の息子たちと一緒にいると1階のお義母さんが気になり、1階にいると2階の息子たちのことが気になって、体が二つ欲しいと思った。
お義母さんが最晩年、1年9ヶ月入院していた時は、月〜金曜日のうち3,4日私が通い、週末土日は、ダンナとダンナの弟が担当だった。
そうやって、力を合わせて取り組んで、後悔なく見送れた思っている。
私の母の時。2007年から:
今は旅行記にもあるように、私の母の問題に取り組んでいる。ダンナの母を見送った大変さを知っているのに、わが家にいたのは、ひとえに母の我儘なので、
力をはめず、でも自分に後悔が残らないように頑張る。