水戸偕楽園 東日本大震災の日

2011年3月11日詳細記録なし

2011年3月11日。この日付の日。珍しく急に思い立って水戸の偕楽園の梅を見に行くことにしました。すでに出勤した息子たちには告げず、 母だけに言って日帰り予定で出かけました。母は腰の調子が悪いと言っていたので私とダンナでキャンピングカーで行くことにしました。 母が一緒であればヴィッツが選択されていたので、キャンピングカー、ジュニアで行けたこと幸いでした。
自宅を出発して、水戸に着き偕楽園を観光。梅の花はまだ少し早い感じでした。

水戸偕楽園

偕楽園を鑑賞しつつ、偕楽園内の食事処で昼食におそばを食す。かなり遅めの昼食になった
昼食後、偕楽園から近い茨城県立歴史館へ
茨城県の歴史を古代から現代に至るまで、テーマで区切り、パネルやレプリカ、実物などで紹介されていた。
見学をほぼ終えようとしていた時、大きな揺れが始まる。

14:46 東日本大震災の発生。

展示物が倒れまではしなかったが大きく揺れ、出入り口のロビー近くに行くと、高い天井から照明が“ガチャン、ガチャン”と複数個  落下して床に落ち大破。それが済むまで危なくて出口に近づけなかった。震源地はどこ?とてつもないことが起こっていると思った。
やっと外に出て駐車場に向かう途中、運よく公衆電話があり、自宅に電話。つながり母と話せ、安否確認がお互いにできた。
車に乗って出発するも、すでに渋滞が始まっていた。
すぐに信号が消えているのがわかったが、ノロノロ移動なので危険は感じない。
小さな橋の付け根で道路に道を横切る方向で段差が生じ、車高のない車が車体のお腹を擦らないように、コースを時間をかけ読んで通るので、 1台1台ものすごく時間がかかる。わが家のキャンピングカーも通る時、車体が大きく傾いたので、私は横転してしまわないかと、「恐いヨ〜恐いヨ〜」と 言っていた。運転者さまは落ち着いていたが。
ナビが高速道路へはいっさい誘導しなかったので、閉鎖なんだなと思った。ずっと国道6号を行く。ものすごい渋滞。ノロノロ。
車窓からの周りの様子は、屋根瓦が落ちているのは東京に帰っても同じだったが、自動車の販売店の大きなガラスが至る所で割れていた。
色々な店舗や会社から制服姿の人たちが、建物の外に出ていた。コンビニなどのお店は、停電でレジが動かないので、販売をしていない。
途中、電話マークとトイレマークの表示された建物があり、駆け込む。運よくすぐに電話がつながり、母と話せ渋滞がすごいことなど伝えられ、 母からは息子たちから連絡が入っていることを知らされた。
ここらあたりから、わが家の心配事はガソリン残量。少し心もとなくなってきた。道沿いのスタンドで「給油できますか?」と叫んで聞くと、 手でバッテンが返ってきた。機械が停電で動かないから、スタンドはあってもガソリンを入れることができない。
で、ここからがキャンピングカーでよかったと思ったこと。
それまでの走行時間と走行距離から、その日のうちに家に帰り着くのは無理。ガソリンももたないと判断し、近くの道の駅を探す。
霞ヶ浦の湖畔近くにある、道の駅たまつくりへ。
車内に積んであった、缶詰、ピンチの時のスパム缶 他の缶詰と、なぜか積んであったビールを飲んで夕食とする。
食べること、横になって寝ること。キャンピングカーだからできた。普通の車だったらどうなっていたか。
車内のラジオをずっと聞いていたので、何が起こったかは分かったけれど、翌日になってわが家の状況がよく変わることを祈った。

3月12日 車内のもので朝食を済ませ、出発。 渋滞が緩和されていた。少し走るとガソリンスタンドがあり、営業していた。一番の心配事が解消された。一番ホッとした瞬間だった。
ここからは、たいして苦労した記憶はないので、順調に家に辿り着けたのだったと思う。
その日のうちに帰り着くことにこだわらず、道の駅に行ったことですべてが好転した。そういった判断ができたのはキャンピングカーだった からだと思った。睡眠十分だったので、すぐにぐちゃぐちゃ状態のわが家の片付けに取り掛かれた。
忘れることのできない小旅行となった。