◆韓国(テグ市)親善訪問の記◆
_茂木(モテギ)博さん プロフィール_
1年ほど前のアイアイカフェの時だったと思う。
「学生時代の友人たちが、地元なら出席しやすいだろうと言って
広島で同期会を開いてくれた。
落ち込んでいるかと心配してのことだったが
元気だったので、みんなが驚いていた」と愉快そうに話されたのだった。
すると今度は韓国に行ってきたとお聞きしたので、びっくり。
早速、旅行記をお願いした。
茂木さんは40歳で網膜色素変性症と診断された。しかし、見えていたので
60歳まで仕事を続けることが出来た。
大学の物理学の先生である。
退職後、徐々に病状が進み、白杖を持つことにした。
引きこもりがちだったが、3年前にカナリアの会、そして自立の会に入った。
人との繋がりが出来て『童謡愛好会』に入会することになった。
カラオケも始めた。
今や声を出すことは、茂木さんにとって”自立の柱”になっている。
今回の韓国旅行の仲間の人に誘われて、今年は「第九」合唱にも挑戦する。
人生が広がっていくのを感じている。
※この旅行記は、茂木さんが、カナリアテープに収録されたお話の内容を、
音声パソコンで原稿にして、送って下さったものです。
韓国(テグ市)親善訪問の記 茂木 博
先日、韓国のテグ市を、童謡愛好会の仲間19人で訪ねてきましたので、
概要をお話しさせていただきます。
韓国のテグ市は、広島市と姉妹都市の関係にあります。
そのため広島市とテグ市との間に、様々な交流が行なわれています。
この度、童謡愛好会がテグ市を親善訪問することになりました。
テグ市はソウル、釜山につぐ韓国第3の都市で、ソウルより200キロ
余り南に位置しています。
周囲を山に囲まれた盆地で、夏は暑く冬は寒い、京都に似た気候とのことです。
我々は10月17日夕方6時に、下関港から関釜フェリーに乗り込み
7時出港、翌日朝8時に釜山で下船しました。
船は1万5千トンをこえる大きな船です。
釜山からバスでテグ市に向かいました。
テグ駅の近くのユニオンホテルにチェックインし、昼食に出かけました。
昼食は[さんげたん]です。
若い鶏のおなかにご飯を詰めて、野菜と一緒に煮込んだものです。
午後は第一の訪問先である原爆被爆者養護施設を訪ねました。
この施設は、日本と韓国が40億円ずつ出して、15年前に作られたとの
こと、訪ねた10月18日が、たまたま開所記念日とのことでした。
現在100人余りの被爆者が生活していますが、まだ500人以上の人が
入所を希望しているとのことでした。
みなさんの前で、「さくらさくら」「富士山」「もみじ」などの童謡を
歌い、韓国の歌「ふるさとの春」を歌いました。
その後、4つのグループに分かれて懇談しました。
テーブルの上には、お餅のお菓子、みかん、ぶどう、バナナが用意されて
いました。
千田町で被爆した80過ぎのおばあちゃんは、流暢な日本語で思い出を
話してくれました。
別のグループでは、懐かしそうに日本の歌をつぎつぎ歌っていました。
お互い、名残は尽きませんが、施設を見せていただき、慰霊塔にお参りして
施設をあとにしました。夕食は焼肉のお店に行きました。
19日はこの親善訪問のメインイベントです。
男性は白いワイシャツにネクタイ、女性は白のブラウスに黒のスカートまたは
スボンの、ステージ衣装に統一です。
まず総合福祉会館の子どもハウスを訪ねました。保育園ですね。
2歳から6歳の子どもたちで、朝の7時から夜の7時半まで、12時間保育
が行なわれているとのことでした。
「楽しい山」「さくらさくら」「秋の虫」などを歌いました。
またハーモニカの演奏に合わせて、子どもたちと一緒に
ハッピーバースディを歌いました。おかえしに子どもたちも3曲、元気に
歌いおどってくれました。
その後、別の総合福祉会館に移動し、ここで皆さんが食べているものと
同じ食事をいただきました。ご飯に味噌汁、お肉の煮物がついています。
肉の煮物は酢豚に似た味付けだったような気がします。
キムチはどの食事でもたっぷりついています。
講堂に移動すると、すでにたくさんの方が席について、我々の到着を待って
いました。
施設の代表者の歓迎の挨拶、童謡愛好会団長の挨拶と、セレモニーが行なわれ
た後、「さくらさくら」「富士山」「椰子の実」「荒城の月」を歌いました。
ハーモニカで「埴生の宿」を演奏すると、大きな拍手がわきおこりました。
その後、館内を見学しました。
絵を描く方、書道を楽しむ方たち、碁や将棋に打ち込む方、卓球、
ビリヤードを楽しむ方などいろいろです。
カラオケの部屋も賑わっていました。
団長さんの命令で、飛び入りでまず私が歌うことになり「北国の春」を歌い
ました。女性は皆さんで「四季の歌」を合唱しました。
韓国の福祉施設は、総合的になっているようで保育室があり、老人が楽しめ
る部屋がいくつもあります。
障害者が作業したり、勉強したりする部屋もあります。
韓国は儒教の教えが色濃く残っており、親を大切にする国と聞いています。
しかし、最近出生率が日本より低くなっており、家族制度の崩壊が心配されて
いると聞きます。福祉施設の充実は、家庭内で守られなくなった年寄りの
悲しみを映しているのかもしれない、などと思いました。
その後、夕食会場へ移動です。テグ市で一番高い山の頂上のレストランでの
夕食です。山の高さは標高800メートルを少し超えているとのこと、
山の上からはテグ市が一望できるそうです。
残念ながら私には見えませんでした。途中にある博物館を見学した後、山頂に
ある食堂に入りました。
この夜のお客様は、福祉関係のおえらいさんです。
どぶろくのような白いお酒がふるまわれました。
マッコリでしょうか。
今夜の料理も大変おいしくいただきました。
こんなに毎食しっかり食べていて、大丈夫だろうかと思いました。
20日は市内にある啓明大学を訪ねました。
この大学は芸術部門と日本語学科に特徴があるとのことです。
テグ市滞在中、日本語学科の学生2名が、毎日交代で、我々と一緒に行動し
通訳ほか、いろいろとお手伝いしてくれました。
校内に入るとまず歴史博物館になっており、市民に開放されているとのこと
でした。
写真や衣類、古い道具などを展示して、韓国の歴史が語られています。
キャンパスは自然林や起伏を生かした作りになっているとのことでした。
団員の一人と親交のある、この大学の日本語学科のヨウ教授のご招待で、
校内で昼食をごちそうになりました。
ここでも最後は童謡を歌って、お礼としました。
その後、総合陸上競技場を見学しました。
今年の8月下旬から9月始めにかけて、世界陸上が開かれたところで、
観客6万7千人収容できる立派な競技場です。
サッカーの日韓共同開催のワールドカップの球場にもなりました。
トラックの上に立つと、なんだか思い切り走ってみたくなりました。
危ない、危ない。
その後は買い物です。スーパーやデパートに案内していただきました。
みなさんお目当ての買い物に走り回ったようです。
夕食は和風レストランです。テグ市ユネスコ協会の会長、副会長他を
お招きし、お世話になったお礼をしました。
寿司、刺身、てんぷらなど懐かしい料理がならびました。
「さくらさくら」を歌って、お開きとなりました。
21日、いよいよテグ市を離れる日です。今朝はまず、テグ大学を訪ねました。
この大学は、福祉関係を中心にした大学とのこと。
ここに全盲ながらリハビリ関係の教授をしているという趙先生を訪ねました。
教授とお会いしたのは、団長と私、他の4名で、点字図書館長室をうかがいまし
た。連絡の手違いがあったようでね30分しか時間がとれなかったのは
残念です。
まず障害を受け入れ、残された能力を生かして何ができるか、目標をもって
努力することが、大切でしょうね、という教授の言葉が印象に残っています。
それからロッテデパートで最後の買い物です。
連日良い天気に恵まれましたが、とうとう雨が降り出しました。
韓国でね最後の食事は、またまたビビンバです。「ビビン」とは、よく混ぜる
ことで、「バ」はごはんとのこと。
ごはんに適当な具をのせて、しっかり混ぜていただきます。
もっとも簡単な料理ですね。
その後、帰国のため、釜山港に向かいました。お世話になった通訳のハーさん
と涙のお別れをして、夜の7時に乗船、帰国の途につきました。
行きは静かな海でしたが、帰りはかなり大きく船が揺れていました。
下関を朝8時に下船、小倉から新幹線にて11時前には広島駅に着きました。
簡単な解団式を行い、それぞれ家路につきました。
一人の病人やけが人もなく終わったのは何よりです。
ツアーとは一味違う旅ができました。
お世話して下さった方々に感謝です。
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