私のパソコンライフ

        久保 正道(みんなの働く場「いっぽ」代表/本会会員)

 こんにちは、久保といいます。
60歳の、というより、もうすぐ61歳になる
全盲の先天性の視覚障害者です。
今日は私のパソコンライフについて紹介させていただきます。

 私がパソコンといわれるものに初めて触ったのが1980年。
それから30年間の間にパソコンの能力は飛躍的に発展してきました。
記憶容量で10万倍、仕事のスピードで4千倍。
それとともに、パソコンはに出来る事も格段に高度なものになってきました。

 私にとってパソコンは、文書の読み書きツールとして、情報ツールとして、
コミュニケーションツールとして、今や暮らしのどこをとっても
無くてはならないものになっています。

 私がパソコンを本格的に使い始めたのは文書の作成でした。
それまで弱視者や晴眼者に頼らざるを得なかった文書作成が、
自力でできたときの感動は今でも忘れません。

文中のフレーズの削除・移動・挿入、他の文書からのコピー&ペースト、
どれもが点字による作業では難しいことばかりでしたので
それらがスイスイできた時の感動は、カルチャーショックといっても
過言ではありませんでした。

 次は、職場内のコンピューターネットワークへの接続です。
それまでは、自分で文書を作成して発信することは出来ても、人の文書を読み、
内容を確認することはできませんでした。
コンピューターネットワークへの接続により、職員間の情報の共有に参加でき
るようになり、他人の文書を自分の資料作成に活用したり
他人の文書に修正を加えたりが出来るようになりました。

 そしてインターネットの利用です。
それまではラジオやテレビが主な情報源でした。ラジオやテレビからの情報は
新聞記事のように取っておくことが出来ません。
記憶に留めておくしか保存の方法がありませんでした。
そこへいくと、インターネットからの情報は、その活用や保存の自由度が高く
またその量と多様性において、それまでの比ではありませんでした。

夜昼を問わず、国内外を問わず、多種多様な情報を瞬時に手に入れることが
出来るようになり、私の世界は大きく広がりました。

また、インターネットを利用した電子メールは、視覚障害の有無を問わない、
距離の遠近を問わない、自由なコミュニケーションを実現し、
さらに携帯電話の普及が、このコミュニケーションの自由に
「どこにいても誰とでも」という新たなページを加えてくれました。

 紙文書の読みは視覚障害者にとっても最も困難なことの一つでした。
それに道を開いたのが「読むべえ」や「読みとも」などの名前で
ご存知の方も多いOCRソフトの登場でした。

これにより、ワープロなどで書かれた文書などの印刷物を自力で読むことや
その文書を活用することが可能になってきました。
紙に書かれた文書を読み上げる声がパソコンから聞こえてきた時の感動は、
これまた今でも忘れることのできない出来事です。

 このように書くと、視覚障害者のパソコン利用は順調にすすんできたように
見えますが、その間悩みや困難がなかったわけではありませんし
今もそれは解消されているわけでもありません。

 1990年代の初め、パソコンの世界は「MS−DOS」から
「Windows」へと大きく変わりました。
この変化は、例えが適当かどうかはわかりませんが
ガスコンロで使っていたアルミの鍋ややかんが、電磁調理器にすると
全然使えなくなるような大きな変化でした。
この変化により、それまで「MS−DO」環境下で順調に進んでいた
視覚障害者のパソコン利用が2〜3年、手も足も出ない状況になってしまいました。

 その後も今に至るまで、さまざまな新技術が登場する度に、あるいは毎年のように
行われる各種ソフトのバージョンアップの度に、
それまで使えてきたソフトややり方が、突然全く使えなくなることもしばしばです。

 これらの困難は関係者の懸命な努力によって補われていますが、
困難が生じてから解決されるまでの、空白の時間ともいうべき間に感じる
無力感、疎外感、焦燥感はなんとも言い表せません。

 視覚障害者の自立を進めていく観点からも、新しい技術やソフトの開発が
視覚障害者の利用を前提として進められるよう、当事者の声を
反映させていくことは、パソコンを早くから使い始めた私たちの
社会的責任の一つかとも感じている今日この頃です。




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