名前 | さくまあきら さくまあきら |
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役割 | 局長 主にハガキの選考担当 |
本業 | ゲームクリエイター・シナリオライターなど様々 |
紹介 | 言わずと知れたJBSの局長であり、生みの親。 毎週大量のハガキをほとんど選考し、JBSを支えてきた。 元々、アニメ雑誌「月刊OUT」で投稿ページを担当していたが、 1982年に満を持してジャンプの投稿コーナーを担当。 以後14年間、ほとんど本業がごとくJBSに関わってきた。 その傍らで、ゲーム「桃太郎伝説」「桃太郎電鉄」シリーズを監修し、 今はゲームクリエイターとしての肩書きが圧倒的に有名になっている。 JBSではあまりキャラクターを表に出さなかったが、実際には 妻子がおり、孫もいたりする。 熱狂的なベイスターズファンで知られており、結局JBS連載中は 一度も大洋ホエールズ(現・ベイスターズ)は優勝できなかったが、 その悲願とも言える優勝は1998年に達成されている。 JBS終了後は「☆比喩魔」「チョコバナナ」などに関わってきたが、 現在は両方とも終了している。 |
名前 | どいたかゆき 土居孝幸 |
役割 | イラスト担当 |
本業 | イラストレーター |
紹介 | JBSの最初から最後まで、一貫してイラストを描き続けたイラストレーター。 JBS以外にも、桃太郎シリーズのイラストを今でもずっと描き続けている。 初期JBSは局員が登場せず、オリジナルキャラが担当する形を取っていたが そのイラストを描いていたのも土居氏である。 愛媛県宇和島市出身。メイン4人の中で唯一、東京出身ではない。 JBSでは、ずっと結婚せず独身を貫いていたことをさんざんネタにされる。 また、「女性に冷たい」という噂が流れ、「ツメタイ・オトコ」のレッテルを貼られる。 口癖は「無理はしない」であり、「ほんのチョイ係」でもあまり語らなかった。 JBS終了後は、☆比喩魔、チョコバナナなどのイラストを担当する。 |
名前 | えのもとかずお 榎本一夫 |
役割 | レイアウト担当 |
本業 | 有限会社「バナナグローブスタジオ」社長 |
紹介 | JBS1の途中より参加、それまでレイアウト担当だった 青木澄江さんの後継者としてデビューする。 青木澄江さんもずいぶんとネタにされていたが、榎本氏のネタにされっぷりは 尋常ではなかった。初期の頃は「えの〜ん」「んどぱらや〜」としゃべる 顔のでかいいわば「ぬりかべ」みたいなポジションだったが、 次第に「ボンビー(貧乏)」ネタが白熱し、ネタぶりは加速し続けた。 なんせ「えのんと遊ぼう!ボンビッビ」「えのんを探せ!」「えのッピ大作戦」など かなり多くの専用番組が作られ、「NG大賞」「ほんのチョイ係」でもネタにされた。 本業はデザイン会社の社長さん。奥さんとお子さんがいることはJBSで周知の事実。 桃太郎シリーズでおなじみの貧乏神・キングボンビーなどは彼がモデルである。 JBSでは「えのん」「榎本○歳(○には当時の年齢が入る)」と呼ばれた。 JBS3の4代目では、一時だけ「榎本ナタデココ」と呼ばれたが定着せず。 JBS終了後もさくま氏関連の投稿ページに登場している。 会社「バナナグローブスタジオ」は、ジャンプ関係のお仕事が多く、 あれだけネタにされていた割に経営は順調なのは周知の事実。 |
名前 | よこやまちさ 横山智佐 |
役割 | アシスタント 主に専門コーナーの選考担当 |
本業 | 声優 |
紹介 | JBS2の2代目から登場したJBSの紅一点。 本業は声優であり、サクラ大戦の真行寺さくら役など有名役多数。 JBSではアシスタントとして、「ちさタローの〜」と冠のつく番組の選考、 あとは雰囲気盛り上げ役、そしてネタにされる役としてw 登場していた。 東京の下町育ちで男っぽいところから「ちさタロー」と呼ばれ、胸(バスト)がないことを 局員はおろか我々投稿者にまでたっぷりネタにされた。 JBS終了後は直接読者ページに関わることはなくなったが、本業で大成功。 2009年11月に、ロックバンド「トライポリズム」のベーシスト、CHAKA氏と結婚した。 |