歴代優勝者

ペンネーム とみたひでよし
冨田英義
居 住 地 熊本県熊本市 → 福岡県福岡市
成   績 JBS1・初代優勝  JBS1・2代目5位  JBS1・5代目優勝
紹   介 JBSの記念すべき初代チャンプ。
しかも5代目でも優勝し、竜王は生きていた氏と並ぶ、2回優勝の記録保持者である。
悪のAUTO・MAG(と呼ばれていた)に対して正義の冨田と呼ばれたり
後にできた新人賞が「冨田賞」と名付けられたり、後々のJBSに
多大なる影響を与えた偉大なる投稿者である。
ちなみに、JBSの最北優勝はよく語られているが、
逆に最南優勝(ついでに言うと最西優勝も)は冨田氏がずーっと
最後まで保持していたレコードである。
あと、最初の優勝者(冨田氏)と最後の優勝者(隠者氏)が
ともに熊本出身という意外な事実もあったりする。
ペンネーム なかそねやすひろ
中粗値安拾
居 住 地 静岡県掛川市
成   績 JBS1・2代目優勝  JBS1・3代目2位
紹   介 JBS1の、2番目の優勝者。しかも新人優勝。
当時、新人賞という概念はなかったのでダブル受賞はしなかったが。
あと、準優勝の次に優勝した人は2人いるが、逆に優勝の次が準優勝だったのは
中粗値氏ただ一人(マニアックな記録だが)。
しかも文字ネタ投稿者であり、数少ない文字ネタ優勝者でもある。
ペンネームは、もちろん当時の首相、中曽根康弘氏のもじり。
ペンネーム こだいらしょうへい
小平小平
居 住 地 東京都小平市
成   績 JBS1・初代3位  JBS1・2代目3位  JBS1・3代目優勝
紹   介 東京都が生んだ実力派投稿者。
JBS1の初代でいきなりベストテン入りし、3代目で連覇を狙う中粗値安拾氏を。
追い抜いて優勝をかっさらった。
その後引退して漫画家修業を始める。
ギャンブル誌などに小平小平のペンネームで執筆している。
ペンネーム おーと・まぐ
AUTO・MAG
居 住 地 神奈川県横浜市 → 神奈川県平塚市
成   績 JBS1・4代目優勝  JBS1・5代目3位  JBS1・6代目5位
紹   介 JBS1中期に活躍した常連。優勝経験あり。
JBS史上2番目に少ない点数(18点)+史上一番少ない本数(10本)で
優勝したという記録を持つ。
次の5代目レースでは、初代チャンピオンの冨田英義氏が復活。
正義の冨田に対し、悪のAUTO・MAGと言われるようになった。
眼鏡を逆さまにかけたイラストがインパクト大であった。
当時はAUTO・MAG氏をいじるネタが数多く掲載されたらしい。
ペンネーム あすなろあすな
あすなろ明日菜
居 住 地 東京都
成   績 JBS1・5代目6位  JBS1・6代目優勝
紹   介 JBS1中期に活躍した常連で、優勝もしている。
同時期に活躍した邦宅杉太氏とライバル関係にあり、誌面上で争っていた。
当時は、邦宅かあすなろを応援するかけなせば載るとまで言われた。
あすなろ明日菜氏優勝後、JBS1の7代目レースで「墨ぬりデスマッチ」が開幕。
要するに、あすなろvs邦宅で、勝った方が負けた方を墨でぬりまくるという企画。
しかし邦宅氏は7代目で優勝するが、あすなろ氏はベストテンにも入らず。
この理由は、親に投稿禁止令を出されたからというものであった。
なお邦宅氏の優勝インタビューでしっかり登場し、墨を塗られていた。
ペンネーム くにやけさんた
邦宅杉太
居 住 地 広島県広島市
成   績 JBS1・5代目4位  JBS1・6代目6位  JBS1・7代目優勝
紹   介 広島が生んだ超強力投稿者。
彗星のごとくデビューして、いきなりベストテン入り。
同時期を戦ったあすなろ明日菜氏とのライバル関係は超有名である。
あすなろ氏は6代目で優勝。邦宅氏は7代目で優勝を果たした。
コミックスの写真を見ればわかるが、けっこう美形であり、
当時のJBSは邦宅フィーバーに沸いていた。
一時期、邦宅氏を応援するかけなせば載るとまで言わしめた。
土居さんのイラストで、タラコくちびるで描かれていたが、
本人が嫌がったところ、修正されていた。

ご存じの方も多いであろうが、現在は漫画家であり、八神健と名乗っている。
JBS終了前後にジャンプで連載された「密・リターンズ!」や
チャンピオンで連載されてアニメにもなった「ななか6/17」の作者である。

ペンネーム ときかずや
土岐和耶
居 住 地 香川県坂出市
成   績 JBS1・6代目7位  JBS1・8代目優勝
紹   介 JBS1中期の常連。四国でただ一人の優勝経験者。
JBS1の6代目デビュー。原口氏と新人賞を争った。
8代目で、過去最高得点(当時)の78点を獲って優勝。
(ただし過去最高点は次レースでどんちゃんに抜かれる)
音楽活動と投稿を同時にこなすナイスガイ(?)として取り上げられる。
しかも、ミスJBSでもよく掲載されるほどのイラスト力を持つ。
総合力では歴代常連の中でもトップクラスであろう。
ペンネーム どんちゃん
どんちゃん
居 住 地 神奈川県伊勢原市
成   績 JBS1・8代目2位  JBS1・9代目優勝  JBS1・10代目5位
紹   介 JBS1終盤の有名常連。
新人ながらいきなり1週22点を取って2位にランクイン。
「ミラクルどんちゃん」の異名を持ち、その勢いで次レース優勝。
準優勝→優勝パターンは、どんちゃんと吟遊奇人氏のみの快挙である。
その後、次のレースでも5位に入るがその後引退して業界入り。
JBSのスタッフとなるも数々の失敗談を生み出して出たり入ったり。
やがてJBS終了後しばらくして、ジャンプの読者ページを任される。
「ジャンプ団」から「ジャン魂G!」まで担当。
ペンネーム ちゃんぼうた
ちゃん坊太
居 住 地 三重県 → 神奈川県横浜市
成   績 JBS1・10代目優勝
紹   介 JBS1の10代目で、優勝と新人賞のダブル受賞を果たした。
優勝時、わずか13歳であり、史上最年少優勝の記録も持つ。
歴代優勝者の中でも、いろんな独自の記録を保持する投稿者。
しかし活躍期はまちまちで、優勝した次のレースでは無掲載。
その後もとびとびで掲載されている印象を持つ。
優勝時は三重県在住だったが後に横浜に移転し、
JBS3の初代レース頃まで活躍していた。
ペンネーム しりのあなにずぼし
尻の穴に図星
居 住 地 東京都
成   績 JBS2・初代1位  JBS2・5代目8位
紹   介 JBS2の初代優勝者。JBS1の10代目でも「アメーズメントクラブ」名で
ベストテン入りを果たしている。
さくま氏によって「尻の穴に図星」という(ちょっとアレな)PNになり、
話題性をかっさらって優勝してしまった。
その後、新人賞の別名が「尻の穴賞」と呼ばれたが定着せず。
5代目レースで再びベストテン入りを果たし、その後
就職浪人ネタをひっさげて一時復活したりしていた。
ペンネーム くすめぎげん
久寿米木元
居 住 地 大分県
成   績 JBS1・10代目5位  JBS2・初代3位  JBS2・2代目優勝
紹   介 JBS1後期、JBS2初期に活躍した常連戦士。
3連続ベストテン入りを果たし、最後には優勝した。
JBS2の2代目に、ちょうど点数制度が変わったこともあったが、
JBSで初めて100点を突破した戦士としても知られている。
基本的に文字ネタが多いが、イラスト掲載もそこそこ多い。
1p独占にもあるように、まさに「海の男」である。
ちなみにノストラダムスのことをやたら取り上げていた。
ペンネーム りゅうおうはいきていた
竜王は生きていた
居 住 地 東京都
成   績 JBS2・3代目優勝  JBS2・4代目優勝  JBS2・5代目3位
紹   介 もしかしたらJBSの常連で一番有名かもしれない偉大な投稿者。
JBSにおいて、1レース最高点の125点をはじき出したこと、
JBS史上唯一、連続優勝を達成したことであまりにも有名である。
JBS2の2代目でデビューし、3代目では急激に注目されて優勝を果たす。
次の4代目では、その勢い止まらず、最終的に125点を取って連続優勝。
そのレースのベストテンボーダーが70点というとんでもない結果を残した。
竜王軍団を創設したり、グラサンかけて優勝インタビューに臨んだり、
おそらくJBSでは邦宅杉太氏と並ぶモテっぷりを発揮したと思われる。
その後、勇退して業界入り。構成作家の北本かつら氏と同一人物であるといわれている。
ペンネーム ぼうふうしろう
暴風四郎
居 住 地 埼玉県吉川市
成   績 JBS2・5代目優勝  JBS2・6代目5位
紹   介 JBS2の中期、JBS3の後期に活躍した常連戦士。
JBS2の5代目で、最終週に16点を取ってプッコロ大魔王氏を抜き、大逆転優勝を果たす。
当時若干14歳の中学生であった。
その後もその勢いでコンスタントに活躍した。
JBS3の5代目で復活し、最終レースで11位に入り、「最後の11位戦士」となった。
文字ネタが比較的多い。しょっちゅう「爆風四郎」と誤植された。
ペンネーム どっとまん
ドットマン
居 住 地 福岡県北九州市
成   績 JBS2・6代目優勝
紹   介 JBS2の中期に活躍し、6代目で優勝した福岡の投稿戦士。
JBS2の5代目でデビューし、惜しいところでベストテン&新人賞を逃す。
次の6代目では雪辱戦に燃えたのか、独走状態だった勇者ろっと氏を追撃し
気付けばいつのまにかトップに立って、優勝してしまった。
その後もベストテンには入らないものの、それなりの好成績を残した。
かなりイラストが上手い。奇特人間やいちゃテレに、イラストでよく載ってた印象。
ペンネーム おかだです!
岡田です!
居 住 地 群馬県
成   績 JBS2・4代目3位  JBS2・7代目優勝
紹   介 JBS史上もっとも有名であろう女性投稿戦士。
歴代女性で最高の掲載本数を誇り、女性でただ一人優勝を果たした。
激戦となったJBS2の4代目で3位に入り(90点以上も取ったのに県別優勝できず)、
その後JBS2の7代目では見事優勝してしまった。
可愛らしいイラストが最大の武器で、イラスト掲載率が高かった。
その画力はミスJBSにも通じるほどで、実際に本誌掲載を果たしている。
あまり知られていないが、実は「チョコバナナ」にも少し掲載されている。
ペンネーム よこはまはじめ
横浜一
居 住 地 神奈川県横浜市
成   績 JBS2・8代目優勝
紹   介 JBS2の後期に活躍した投稿戦士。
JBS2の8代目において、終盤にもっこりスライム氏を追い抜かしてそのまま優勝。
JBSでも稀に見る、完全文字ネタ優勝者として当時話題になった。
ちなみに優勝時の年齢が24歳で、これは当時歴代最年長優勝者記録だった。
(後に、哀☆戦士氏が25歳で優勝したが)
その後もぽつぽつ載っていたが、最終レースで突如復活したりもした。
今回資料を読み直してみたが、確かに文字ネタオンリーであり、
だじゃれや天下一形容詞大会とかの筆文字ですら載ってなかった。
ペンネーム ももたろうまる
桃太郎丸
居 住 地 宮城県多賀城市
成   績 JBS2・9代目優勝  JBS3・10代目3位
紹   介 JBS2の終期に活躍した宮城県の投稿者。
「ルパン38号」というPNだったのをJBS2の8代目の時に変更し、
9代目では首位独走していた柏盗っ人氏を追撃。
なんと最終週で柏盗っ人氏を追い抜き、優勝してしまった。
この時点で、歴代優勝者の中で一番北に住んでいるということで
「最北優勝」の肩書きがついた。
(もっとも、後にぽんぽこりん氏が優勝した時点でタイトル剥奪されたが)
次の10代目でも3位に入り、あほのすけ氏のライバル的存在であったが
なぜか申し合わせたように、あほのすけ氏と同じJBS3の初代を最後に無掲載となる。
優勝インタビューで漫画家になることを公言したとおり、漫画家となる
佐々木健名義でサンデーなどに連載。代表作は「KING GOLF」。
ペンネーム あほのすけ
あほのすけ
居 住 地 長野県松本市
成   績 JBS2・10代目優勝
紹   介 JBS2終期の常連。長野の戦士で、投稿時は浪人生。
JBS2の9代目でデビューし、42点を獲得するも新人賞は逃す(新人賞は、44点の「あぱ」氏)。
その勢いのまま10代目に挑み、1週目でトップに立つ。そして首位陥落わずか3週で、
あれよあれよという間に点数を重ね、気付けば竜王は生きていた氏に次ぐ121点を獲得して優勝。
ちなみにこのレースでの掲載本数41本は、1レース最高掲載本数記録を持つ。
(ちなみに、竜王氏が125点獲ったときの本数は40本)
これだけの派手な活躍をするも、JBS3では投稿を控えたのか、数本載っただけで終わった。
参加レース得点率(総掲載本数/参加レース)で言えば、どんちゃん・吟遊奇人氏に次ぐだろう。
ペンネーム ねこだまし!ぽんきち
猫だまし!ぽん吉
居 住 地 京都府京都市
成   績 JBS3・初代優勝  JBS3・2代目3位  JBS3・3代目4位  JBS3・4代目7位
紹   介 JBS3の前半に活躍した京都の投稿戦士。
元PNは「魔法使い!すがの」で、こちらでJBS2の7代目に3位入賞している。
住所が石川県加賀市から京都市に変わり、PNを「猫だまし!ぽん吉」に変えて復活。
復活していきなり16点を取って首位に。結局怒濤の勢いでJBS3の初代優勝を果たした。
その後も常に上位に居続け、4連続ベストテン入りを果たした後、引退。
猫軍団の筆頭株主でもあり、常に軍団を上位に導いていた。
文字ネタも多いが、「負け犬のオーボエ」に代表される味のあるイラストも有名。
その得意のイラストでNG大賞に頻繁に掲載されていた。
ちなみによく誤植で「ポン吉」になっていた。
今でも「ポン吉」と思っている人がけっこう多い。「ぽん吉」ですよ。
ペンネーム ぎんゆうきじん
吟遊奇人
居 住 地 茨城県つくば市
成   績 JBS3・初代2位  JBS3・2代目優勝
紹   介 JBS3の初代で準優勝、次レースで優勝してしまった茨城の投稿戦士。
JBS史上ただ一人、2レースにおいて100点を突破している(しかも連続)。
しかも、参加レースでの得点が1桁か3桁しかないという記録も持つ。
活躍時期が短いこと、準優勝→優勝を果たしたこと、そして後に業界入りすることから
どんちゃんと似ていたりする。歴代本数もほぼ一緒だし。
応援ハガキによく掲載されている。無名時代には「もち肌なゴジラ君」氏を応援していた。
優勝後、引退してJBSのアシスタントを経て、ジャンポストで審査員を務めた。
その後は、「ONE PIECE」のノベルを執筆したりしている。
ペンネーム ぽんぽこりん
ぽんぽこりん
居 住 地 山形県酒田市
成   績 JBS3・3代目優勝
紹   介 山形県の数少ない常連戦士。
JBS2の10代目でデビューし、JBS3の初代、2代目と着実にランクアップ。
3代目レースで、1週目で15点を取って首位に立ち、そのまま
最終週までトップの座を明け渡すことなく優勝した。
JBSで唯一、完全優勝を果たしている。
その後も高水準の掲載数を誇り、掲載数は60本を越えている。
かなりイラストが上手い。いちゃもんテレビに強い。
JBS3の初代での5本掲載は、実は全ていちゃもんテレビ。
ペンネーム いんぐりもんぐり
いんぐりもんぐり
居 住 地 岡山県岡山市 → 京都府
成   績 JBS3・4代目優勝
紹   介 岡山の投稿戦士。JBS2の9代目でデビューし、
10代目でブレイク。その後もコンスタントに掲載される。
JBS3の4代目でじわじわと上昇し、やがてトップ争いに加わる。
うんちの味氏、鉛の帆船氏、さるるる〜氏らと熾烈な首位争いを繰り広げ、
最終週で再逆転優勝を果たした。数少ない中国地方優勝者である。
(中国地方の優勝者は、ほかには邦宅杉太氏のみ)
ペンネーム にいおかゆうや
新岡優哉
居 住 地 青森県
成   績 JBS2・8代目9位  JBS3・5代目優勝
紹   介 青森の投稿戦士。JBS2の5代目で「勇者ろっと」でデビュー。
6代目で3位に入り、8代目で本名に変更して9位入り。
その後はなりを潜めていたが、JBS3の4代目で“浪人決定”したことで復活。
その勢いのまま、5代目では優勝してしまった。
それまで最北優勝記録を持っていたぽんぽこりん氏より北に住んでいたので、
JBS史上最北優勝者となったのであった。
後にJBSのスタッフとなり、ジャンポストの制作にも携わった。
ペンネーム あい・せんし
哀☆戦士
居 住 地 大阪府大阪市
成   績 JBS2・8代目5位  JBS2・9代目4位  JBS2・10代目4位  JBS3・6代目優勝
紹   介 大阪の投稿戦士。初掲載時は「総大将アシュラ」というPNだった。
PNの由来は、ガンダムファンにはおなじみの曲のタイトルからとっている。
「哀☆戦士」に変更後、JBS2の8代目でベストテン入りし、そこから怒濤の3連続ベスト5を記録。
JBS3初代でPNを「アンチャン」に変更するも、PN変更でベストテンを逃したことから
(哀☆戦士14点、アンチャン35点、ベストテンボーダーが41点だった)
PNを元に戻し、地道に投稿を続ける。その後、JBS3の6代目レースで飛躍的に活躍し、
あれよあれよという間に優勝してしまう。この時は週5枚程度の投稿枚数だったらしい。
歴代でもおそらく最小投稿枚数の優勝ではないかと言われ、その名を不動のものとした。
掲載ネタは文字とイラストが半々。イラストはシンプルながらも独特の線タッチであった。
自画像は、明らかにスト2のリュウを意識したであろう、空手着+ハチマキであった。
ペンネーム じゅうがつのいんじゃ
十月の隠者
居 住 地 宮城県仙台市
成   績 JBS3・最終優勝
紹   介 JBS最後の優勝者。
最終レースのみの掲載であるが、実は元PNが「鉄砲筑紫」「御笑いガチョン!」で
過去に40本ほど掲載されていた常連であった。
ちなみにJBS3の4代目から新人賞のルールが変わったために
優勝と新人賞のダブル受賞は残念ながら逃してしまった。
2コママンガ劇場などによく掲載され、比較的イラスト掲載が多い。

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