【鷹の羽(たかのは)紋】(「たかのはね」ではありません!)
鷹の羽を紋章に用いたのは、思うに、この鳥の勇猛強悍で、鳥や獣をとらえるという尚武的意義に基づいているのであろう。中古武官のかぶった武礼冠に、鷹の羽を左右にはさんだようなものは、装飾のためだけではなく、武官に限り、これを用いたということは、やはりこの意義に基づいているようである。(沼田頼輔著「日本紋章学」)

外国の紋章で、鷲はライオンと並んで、最もひろく使われたパターンの一つである。それに匹敵(といっても小型だが)したのがわが国では鷹であった。
鷹はいわゆる「高取(たかとり)」--上空を飛翔できた猛禽で、このたくましさは武士が勇武の紋章とするにふさわしかった。しかもそのほとんどが、鷹の羽だけで象徴した。それだけに趣向からして、ずっとあかぬけしたものといえる。
鷹の尾羽は、他の鳥にもまさって、珍重され矢羽として多用された。武士が背にした箙(えびら)にきれいに並べられた羽の斑(ふ)、それは紋章に図案化されて、十分な魅力であった。・・・むかしから「弓矢にかけて」といえば戦闘づくでを意味し、「弓矢の神」は、すなわち武神。「鷹の羽」が阿蘇明神の神紋とされたのは、その狭義一つで、それは菊池一族が使った。(高橋賢一著「大名家の家紋」)
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八つ鷹の羽車 芸州鷹の羽

浅野鷹の羽 糸輪に斑いり
違い鷹の羽
浮線鷹の羽 丸に違い鷹の羽 鷹の羽蝶


** 関連 **
五瓜に
浅野鷹の羽
鷹の羽団扇


** 左胸プリント **
丸に違い鷹の羽


** 両面プリント(左胸/背襟下) **
丸に違い鷹の羽


高橋賢一著「大名家の家紋」に次の記述がある。
浅野家の紋「丸に鷹の羽違い」は元禄快挙以来、いっぺんに世に知られた。だが宗家と分家でパターンがやや異なり、宗家のもは「芸州鷹の羽」、支藩内匠守のは「播州鷹の羽」といい、羽につく渦紋が別である。

しかしながら、家紋が掲載されていないので著者が考えている具体的な図柄が不明である。ただこの稿の末尾に、
浅野家の紋には、このほか替紋として、半開扇に沢瀉を配したものがあって「浅野扇」とよばれ、「丸に三つ引き」とあわせ使われた。

と書かれている。ちなみに、それらの家紋は次のように紹介されている。

浅野鷹の羽 浅野扇 丸に三つ引


芸州は安芸の、播州は播磨の別称であるけれども、私は目下のところ、「芸州鷹の羽」と「浅野鷹の羽」との関係が理解できていない。調査中である。(2014/6/15)

また、同書には広島新田浅野家の家紋が紹介されている。

○支封浅野家
浅野宗家からは、備後(広島県)三次(みよし)藩の分封を出したのをはじめ、いくつかの支封ができたが、どれも永つづきせず終っている。享保十五年(1730)長賢(ながかた)による広島新田(しんでん)だけが内証分(宗家の封の一部から出す)として三万石、それだけが残って、明治に至った。家紋は「五葉木瓜の内鷹の羽違い」、宗家と同様の渦紋をつける。

五瓜に
浅野鷹の羽

それともう一つ、浅野長政の三男長重が、旧封常陸から移って、播磨の赤穂で五万三千石。百年余の伝統ある支藩であったが、長矩の殿中刃傷で元禄十四年(1701)消された。
これが原因となって、大石良雄ら四十七士の仇討事件が起こるわけである。


参考図書:高橋賢一著「大名家の家紋」

不正確に描かれた紋章は美しくありません。長い年月をかけて、勝れた美意識によって完成された紋章の形は、ゆるぎないものです。それを正しい姿で伝えてゆこくとが大切だと思います。 形の基礎となる作図を紋章の「割り出し法」と言います。紋章上絵師の手によって、長い間継承されてきた伝統技法です。(泡坂妻夫著「卍の魔力、巴の呪力」)

・違い鷹の羽の作図例(泡坂妻夫著「卍の魔力、巴の呪力」参考)
水平・垂直線の交点を中心に持つ基本円を書くと四等分される 基本円と同じ半径で4つの円を書く。各円の中心点は基本円と水平・垂直線との交点 円と円の交点を対角線で結ぶことで基本円が八等分される。
次に半径を求める為に赤線を引く
赤線と斜め線の交点から基本円の中心までを半径とした円(必要なのは円ではなく半径の寸法)
その半径で対角線上に中心を持ち基本円に内接する円を4つ配置する 違い鷹の羽の輪郭ができる 羽の芯を各二本引き
次に最初の蕊を書く
この蕊と羽の芯を基準にすると蕊の位置が等間隔で次々と自動的に決まる


<商品化例> (上の「丸に違い鷹の羽」と「八割り作図」の図案は別途に作図しておりますが、作図手法は全く同じなのでほぼ同じです)
丸に違い鷹
の羽の作図
八割り作図

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