【沢瀉(おもだか)紋】
葉が人の顔のように見えることや、葉の面に葉脈が高く隆起しているところから「面高」と呼ばれるようになり、「面目が立つ」という語呂にも通じる。また、「沢の瀉(そそ)ぎ」に生える草だから「沢瀉」と書くのだともいう。文様として奈良時代から広く用いられ・・、武家にも多く用いられたのは、その葉が鏃に似ており勝軍草(かちいくさぐさ)とも呼ばれるからともいう(高澤等著「家紋の事典」)

源平争乱期の武将達に好まれ、鎧・直垂・腹巻等に沢瀉文様を用いたことが諸戦記に散見される。沢瀉は多用された紋であるが、史料には余りみられず、越中の椎名氏が見聞諸家紋に載るのみ。(伊藤幸作編「日本の紋章」)
どうして武人がこの文様を好んだかというと、恐らく巴や州浜のように、時代の流行に迎合したものであって、ほかに理由はないように思われる。(沼田頼輔著「日本紋章学」)

石持地抜き(こくもちじぬき)
・石持とは地色に染め抜かれた白い円のこと。地抜きとは地色の色を使って紋を描くこと。(泡坂妻夫著「家紋の話」)
・石持ちのもとの意味は「餅」であり、白いのを「白餅」、黒を「黒餅」といった。
白餅は「城持ち」、黒餅は「石持ち」(石高を持つ、加増されるの意)にひっかけて、武家では縁起いいものとした。だが紋章上しだいに区別をなくして、「石持」の字が双方を代表した(高橋賢一著「大名家の家紋」)

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長門沢瀉 長門沢瀉 藩主毛利家の
定紋と替紋

石持地抜き
立沢瀉
陰丸に沢瀉 沢瀉に水 抱き沢瀉 沢瀉蝶

長州沢瀉 変り長州沢瀉 丸に立ち沢瀉 沢瀉鶴 八重沢瀉
(市川猿之助)


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毛利氏の一文字三星は・・・毛利氏としては最も古い紋章であるが、これを本紋としないで沢瀉紋を用いたわけは、沢瀉紋が元就の武功を記念した由緒あるものだからである(沼田頼輔著「日本紋章学」)

中国の覇者毛利氏が抱き沢瀉を使用しており、その逸話として毛利元就が沢瀉にトンボがとまっていたのを見たのちに戦勝したことにより家紋としたと伝える(高澤等著「家紋の事典」)
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