【葵(あおい)紋】
葵紋は葵の葉、または葉と花とを象った紋である。葵は馬兜鈴科に属する植物で、フタバアオイかまたはカモアオイといい、学名を双葉細辛という。古来、葵の字を用いてはいるが、この文字は錦葵科に属する錦葵および?牛児科に属するテンジクアオイなどに用いられたものであり、藤原時代、衣服の文様として用いられた小葵などは、この種の植物を象ったものである。早くからこの文字を用いたために、先入観となってフタバアオイにもこの字を代用するようになり、ついにはこれを混同してしまった。(沼田頼輔著「日本紋章学」)
葵が家紋として初めて見えたのは『見聞諸家紋』である。同書は葵をとり上げ、丹波之西田と題している。すなわち西田氏の家紋としてこれを用いたことが知られる。
戦国時代になって、三河の松平・本多・伊奈・島田の諸氏がこれを用いた。徳川氏は三河にはいり、松平氏を継ぎ、またこの紋章を用いた。のち、将軍職になるにおよんで、この紋章は権威を得て、ほとんど菊桐の紋章を凌ぐほどになった。
丹波の西田氏をはじめ、三河の松平・本多二氏がどうしてこの紋章を用いたかというと、いずれも加茂神社の信仰に基づいたものである。(沼田頼輔著「日本紋章学」)
葉脈(蕊)の簡略化について
「桐」「蔦」「三つ柏」などの葉脈は、葉の中心の葉脈から四本の支線が出ているものが基本形とされています。ところが、袱紗などの印染め類に施された地割り紋になると、その支線を三本に簡略化してしまうのです。これは古くからのならわしです。それというのも、印染め類は、一枚の型紙によって紋(模様)が入れられるため、紙型の強度を保つために、模様が省略されてしまうのです。・・・
葉脈が多いと混み入ってしまいます。簡略化は、線で絵柄がうるさくなることを回避するための対処法ですが、これも表現法の一つになっているのです。(詳細は、森本景一著「家紋を探る」P170~参照)
ここでの絵柄は、例えば33蕊なら33蕊を描いていますが、本来は簡略化するのが伝統的であるように思います。プリント範囲が広いアイテム(シャワーカーテン等)の場合は簡略化しなくても現在のプリンターの性能であれば描画上は問題が起きないと思いますが、そうであったとしても、33蕊では線で絵柄がうるさくなってしまう、私もそう思います。。簡略化への取り組み、これは私の課題にしておきます。
家紋をクリックすると図案通りのアイテムページに、
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沼田頼輔著「日本紋章学」に、徳川家歴代の葵紋の図案が掲載されており、そこには『御服所後藤縫殿助書上御紋控書』所載とある。以下の図案は、これを参考に作図したものである。(2013/3作図)
徳川宗家においても、葵紋の蕊は初めはほとんど一定していなかった。文政年間(1818~30)御服所後藤縫殿助から幕府に書き上げた『御紋控書』によってこれを見ると、家康・秀忠・家光の三代は三十三蕊、家綱は十九蕊と二十三蕊、綱吉は二十三蕊と二十七蕊、家宣は三十一蕊と三十五蕊、(原本は家継を欠いている)吉宗は二十三蕊、家重・家治はともに十三蕊を用いた。このころから将軍家の紋章もまた十三蕊に定められたのか、その後はいずれも十三蕊を用いた。(沼田頼輔著「日本紋章学」)
<<衣服:上下(かみしも)と小袖に付けられた紋の大きさ>>
「歴代将軍家紋章の留書」によると
家康・秀忠・家光 → 一寸四分五厘と一寸七分
綱吉 → 一寸五分と二寸
家宣 → 一寸六分と一寸七分五厘
吉宗・家重 → 一寸四分五厘と?
<<将軍の世子は、その年齢にしたがって、家紋の大きさを増す>>
十代将軍家治(1737-1786)
1737-1742 直径一寸一分
1742-1748 直径一寸二分五厘
1748-1751 直径一寸三分五厘
1751-1752 直径一寸四分二厘
1752ー 直径一寸五分(初めて将軍と同じ寸法になる)
家治の世子である家基の家紋を見ても、家治の場合とまったく同じである。ここから、将軍家の世子は、その誕生の年から年齢がふえるにつれて、家紋の大きさを増すということになる。
諸大名の家紋も、将軍家と大差ない。即ち、大きいものは直径二寸、小さいもので一寸二分どまりである。天保四年(1833)の『御召御紋帳』によると、伊達家の家紋竹に雀は、横二寸縦一寸、三引両は直径一寸八分である。一般的には、諸大名の家紋の大きさは一寸五分を標準としている。
以上、沼田頼輔著「日本紋章学」、Wikipedia(徳川家治)参考
将軍家・諸大名の間では、定紋はその家の正嫡が継承するのが原則であり、二男や腹ちがいの者の家紋は、定紋と多少構造の違った紋章を用いるのが普通である。
例えば、徳川氏は葵紋を表裏によって区別した。
尾張家は表葉二つ裏葉一つ
紀伊家は表葉一つ裏葉二つ
水戸家は三葉とも裏葉
を用いた。(沼田頼輔著「日本紋章学」)
と書かれているが、それらの図案は掲載されていない。そこで、紋帳等で御三家の図案を調べてみたが、それらを見る限りにおいては、表葉と裏葉の区別は困難である。
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