国民投票法案に重大な欠陥
 自民、公明両党は5月3日の憲法記念日前に、与党単独ででも国民投票法案を採択するといっている。しかし、事は憲法の改正手続きに関する問題である。与党単独での強行採決など論外である。そのうえ、現在の与党案はもちろん、民主党案にさえ絶対に見逃すことのできない重大な欠陥がある。国民投票そのものが有効となる最低投票率の定めがないことである。
 最近の国政選挙を見ても投票率が60%を切ることが珍しくない。仮に50%台として、その過半数である20%台の賛成、つまり四分の一そこそこの賛成があれば、国の最高法規である憲法の改正が可能になってしまう。
 日弁連の意見書でも投票率が「一定割合に達しない場合」「国民の意思を十分に、かつ正確に反映するものとはいえない」と指摘し、最低投票率の規定を設けるべきだと述べている。与党案にも民主党案にもまだまだ欠陥がある。いずれにせよ、拙速に事を運ぶべきではなかろう。
憲法9条あっての美しい国('07.02.19)
 安倍政権は、教育基本法改悪、02.19防衛庁の防衛省昇格など、改憲の道を一路暴走し始めている。その新国家主義的逆コースを美化するために使われている言葉が「美しい国づくり」である。それでは、いまの日本は「美しい国」ではないのか。広がる格差社会などを考えると、これほどおぞましい国はないと思う。
 しかし、その日本が、この六〇余年、海外の戦場で一人も殺さず、一人も殺されずにきた。イラクにあれだけ自衛隊員を送りながら、やはり殺しも殺されもせずに済んできた。国の交戦権を認めない憲法九条があるおかげである。第二次大戦後の世界で、こんな国はほかに例をみない。これこそ、世界に誇れる美しい日本ではないか。
 その憲法を変え、日本を「アメリカといっしょになって戦争をやる普通の国」にすることは、とりもなおさず、自らの手でこの美しい国を取り壊すことにほかならない。今こそ、憲法九条あっての美しい国であることに深く思いをいたすべきだろう。
民主は対案より対決を(民主は真の対立軸を示して)('07.01.30)
 某紙(新聞の)23日付に載った世論調査によれば、安倍内閣の支持率は続落し、39%まで低下したという。だが、その分民主党に回ったというわけではない。民主党はわずか2%増えただけである。
 「安倍政権も死に体になってきた」との声が自民党幹部筋からさえ漏れ始めているという。なのに、なぜ民主党は浮上できないのだろうか。現在の小沢民主党は、顔を前原代表から小沢代表に代えただけで、政策的には前原時代の「対案」路線を継承している。結局は自民党と同じ土俵の上で争っているだけである。
 民主党のいう「格差是正」も大いに結構。しかし、教育基本法改悪、防衛庁の国防省昇格など、安倍政権が一路突っ走ろうとしている「新国家主義的」憲法改正路線に正面から向き合わずに、どうして国民の支持を得られるだろうか。国の姿が根本から変えられようとしているとき、生半可な「提案」路線などきっぱり清算し、自民党との真の対立軸を国民に示すことこそ、いま民主党に求められていることではないか。(括弧内は「愛媛新聞」編集部による修正)
靖国」は心の問題ではない('06.07.27)
  A級戦犯合祀についての昭和天皇の発言メモが公表された。関連してみずからの靖国参拝への影響を問われた小泉首相は、「あの人、あの方がどう考えておられるかと、わたしがどう考えるかは別。わたしの心の問題だ」と答え、参拝の意志に変わりがないと受け取れる言明をした。
 今日、「靖国問題」は個人の心の問題ではない。すぐれて政治的・外交的問題である。とりわけ、日本の軍国主義によって大きな被害を受け、民族の尊厳を踏みにじられた韓国・中国・アジア諸国民にはけっして見過ごせない問題である。
 天皇発言を伝えた二一日付朝鮮日報紙は、「日本の政治指導者による靖国参拝は、今年九月に退く小泉といっしょに姿を消すべきだ」と論評している。小泉首相、そしてその忠実な後継者安倍官房長官はそれでも参拝するのだろう。日本のアジア外交の前途は暗い。
憲法特集 「改正」はアメリカの押しつけ('06.05.24)
 推理小説風に言えば、憲法「改正」で一番得をするのは誰か。逆に言えば、現憲法で誰が一番不便を感じているのか。国民はそのことをよく考えてみる必要がある。環境権などを挙げ「改正」を正当化する向きもあるが、本命は九条、それも国の交戦権と集団的自衛権を認めない現憲法第二項の縛りをなくすことにある。
 政府はアメリカに要求されイラクに自衛隊を派遣したが、小泉首相ですら「自衛隊は戦争をしに行くのではない」と国会答弁せざるを得なかった。九条の縛りのためである。
 九条が「改正」されたら、政府答弁は「自衛隊は○○へ戦争に行く」と変わるだろう。改憲論者は「アメリカの押しつけ憲法」だという。だが、いま憲法「改正」を押しつけているのは、まさにアメリカではないか。
米軍再編 国民に合意求めよ('06.05.11)
 在日米軍再編について、日米の外務・防衛担当閣僚の協議により最終合意を見たという。しかし、これについて国民は二重の意味で合意していない。まず移転の対象となる岩国や沖縄の住民が合意していない。一時、3兆円の負担といわれたこの再編計画が一体何を目的としているのか、国民の大多数が知らない。
 これまで日本の平和・安全の保障とされてきた日米安保条約には「極東における国際の平和および安全」と、はっきり目的が明記されている。今回の合意の大前提である昨年10月の中間報告発表の場でライス米国務長官は、この合意により日米同盟の「グローバル(全地球的)な同盟」への転換が実現されると述べている。
 つまり、防衛範囲が日本・極東どころか、世界中に広がるということだ。これではまさに日米安保条約の改変である。閣僚級の合意で済む問題ではない。政府は、安保条約の条文を修正し、十分な国会審議を通じ、その内容を周知させ、国民的合意を問うべきである。

イラク混迷 陸自即時撤退を('06.03.30)
 ブッシュ大統領は21日の記者会見で、2009年1月までの任期中には、イラク駐留米軍の完全撤退は実現できない、将来の大統領とイラク政府が決めることだと言明した。イラクでは、政情安定どころか、毎日数十人規模の死者が出て、早晩、全面的内戦化が避けられないと危惧(きぐ)されているなかでの発言である。
 問題は、イラクに派遣されている自衛隊がどうなるかである。何でもブッシュ大統領べったりの小泉首相のことだから、今度もまた「自衛隊の撤退は次期首相の決めること」などと言い出しかねない。だが、そんなことは絶対に許されない。そもそも、集団的自衛権と他国との交戦権を認めていない現憲法下で自衛隊を戦地に派遣したこと自体、違憲の疑いが濃厚である。
 ましてや、イラクが内戦の火の海に包まれる恐れのある今、のんべんだらりと派遣を続けることは、自衛隊員の安全のためにも絶対にあってはならないことである。国民の多くも、今こそ自衛隊を即時撤退させるべきだと考えているに違いない。

メール問題 前原代表は退陣を('06.03.10)
 ライブドアの送金指示メール問題は、民主党の全面降伏で幕を閉じた。前原執行部の方がくみしやすいと考えている自民党は、前原代表の責任を徹底的に追求する気はないようだ。しかし、メール問題の推移を見ても、当の永田議員や野田前国対委員長以上に、前原代表の政治責任は重大かつ決定的である。党首会談を前に「明日を楽しみにしてほしい」とまでいったのは、前原代表当人ではないか。
 前原代表は、これまでにも対案路線なるもので、事実上自民党の補完勢力となり、国民の期待を裏切ってきた、中国脅威論をはじめ、党議を代表しているとは到底思えない発言をしばしば繰り返してきた。メール問題で示された独断専行ぶりは、こうした前原代表の政治姿勢の軽さの延長線上にある。
 国民は、このような前原代表に野党第一党の党首を任せておくことに、重大な懸念を抱いている。国民投票法案の提出など、憲法改正をめぐる情勢も緊迫化してきているなかで、国民は一日も早い前原代表の退陣と、民主党の根本的立ち直りを望んでいる。


自民総裁選 「靖国」を争点に('06.02.23)
 小泉首相は自民党総裁選に向けて「靖国」を争点にすべきではないと煙幕を張っている。最近、ライブドア事件をはじめ小泉政権の失政が露呈してきているが、今の日本で一番行き詰まっているのは外交である。とりわけ「靖国」問題に端を発した中・韓との「首脳交流断絶」は日本の地政学的位置からして重大問題である。
 戦前、満州国の建国をめぐり、国際連盟が日本を非難するリットン報告書の採択を行った際、当時の松岡外相は「光栄ある一票」と称して連盟脱退演説を行った。こうして、敗戦に至る国際的孤立の道が敷かれた。小泉首相の姿勢にも、かつて日本外交がたどった独善外交の道が見え隠れしている。総裁選では安倍官房長官が最右翼の候補者といわれる。安倍氏は思想的にも最右翼であり、積極的な「靖国参拝」論者である。この人が次期首相になったら、日本のアジア外交は完全にお先真っ暗である。
 次期首相を選ぶ総裁選である以上、一国の政治の根幹をなす外交問題を争点からはずそうなどという考え自体が間違っている。ここは外交問題、とりわけ「靖国」を論争の中心にすえ、国民の目の前で堂々と論戦を展開して、わが国外交の進路を問うべきであろう。

憲法9条守り武力行使阻止('06.02.05)
 先ごろ開かれた日米防衛首脳会談で、米側がイラクの治安維持やイラク人部隊の訓練への自衛隊の参加を打診してきたが、日本側は「憲法上の制約」を理由にこれを断ったという。言うまでもなく、集団的自衛権の行使や海外での武力行使を禁じた憲法九条が、少なくとも現在はまだ生きているという証明である。
 だが、問題は今後にある。自民党大会で決定された「新憲法草案」では、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めた現憲法九条二項を削除し、代わりに「自衛軍を保持する」とうたっている。もし、自民党が望む方向で憲法が変えられれば、日本は海外で戦争のおこなえる軍隊をもつことになる。
 自衛隊についても、そのイラク派遣についても、いろいろ意見はあろう。しかし、自衛隊がアメリカの言いなりに海外に出かけていき、殺したり殺されたりすることに賛成する人は少なかろう。憲法改悪は、そういうことが日常茶飯事になるということである。子どもたちの将来のためにも、なんとしても九条を殺させてはならない。

靖国問題 中韓国民に配慮を(05.12.22)
 クアラルンプールのサミット期間中、ついに日中韓首脳会談は開かれなかった。小泉首相の「靖国」参拝が原因である。中韓を欠いて、東アジア共同体など成立するはずもないが、小泉首相は「一つの問題のため首脳会談を開けないというのは理解できない」「靖国参拝は不戦の誓い」などと奇弁に終始した。
 だが、中韓両国民にとって、「靖国」はもろもろの問題のうちの「一つ」にすぎないのだろうか。そもそも、靖国神社は、「不戦の誓い」に適した場所なのだろうか。靖国神社社務所発行「やすくに大百科」には、「…戦後、…連合軍…の裁判によって一方的に戦争犯罪人≠ニいう、ぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命(いのち)をたたれた…方々…これらの方々を『昭和殉難者』とお呼びし…すべて神様としてお祀(まつ)りされています」とある。無論、東条英機元首相らA級戦犯も含まれている。
 東条元首相らを「殉難者」と美化することは、あの戦争を正当化することである。最大の被害者である中韓両国民にとって、それはいくつかある問題のなかの「一つ」ではなく、「絶対に許しがたい問題」であることに思いをいたすべきだろう。