歴史を書きかえてはならない
 06年度の教科書検定で、沖縄戦の集団自決について、日本軍による強制は「なかった」ことに書きかえられた。大方の識者は学界の定説が変わったのではなく、政府見解を記述させたものと受けとっている。
 歴史は過去の事実の集積である。時の政府にとって都合のよいこともあれば、都合の悪いこともある。学者の研究にゆだね、時間をかけて検討すべき問題である。文科省の小役人の手で書きかえるなど論外である。
 先日、イギリス各地で奴隷貿易禁止法制定200周年を記念し、奴隷の苦しみを追体験する「鎖の行進」がおこなわれた。ブレア首相も、これに先立ち英紙に投稿し、「(奴隷制を)深く恥じる」と遺憾の意を表した。これこそ、歴史に正対する態度である。さしずめ今の日本だったら、「あれは親が子を売ったので、強制奴隷ではない」とでも言いかねないところである。「自虐史観からの脱却」を唱える向きもあるが、ゆめゆめ被害者をさらに侮辱し傷つける「他虐史観」に陥ってはなるまい。
地球儀から見えた日米同盟('07.02.24)
 昨年秋、ある週刊誌の記事に触発されて大型の地球儀を買った。日本が中心に位置し、東にアメリカ、西にインドをはさんで中東・ヨーロッパがある平板な世界地図とは違い、いろいろなことを教えてくれる。
 たとえば、地球儀でアメリカから見ると、中東は北極圏を隔ててちょうど地球の裏側にある。そして、イギリスと日本は、アメリカを頂点とする馬のひずめのような形で東と西から中東をはさんでいる。
 世界一の石油消費国でありながら国内産油が枯渇しているアメリカにとって、中東石油は力づくでもほしい資源である。第一次ブッシュ政権で国務副長官を務めたアーミテージ氏は、二〇〇年に彼がまとめた「アーミテージ・レポート」のなかで、日米同盟は米英同盟と同程度に強化されるべきだ力説している。地球儀を見てその意味が初めて理解できた。改憲と日米同盟強化が叫ばれている昨今、日本がこうしたアメリカの危険な世界戦略に巻き込まれていくことの是非を、もう一度冷静に考えるべきだろう。
改憲反対、「国民の一分(いちぶん)」('06.09.04)
 寅さん映画でおなじみの山田洋次監督が、藤沢周一の異色作「武士の一分」を映画化するという。「一分」とは「これ以上は譲ることのできない一線」という意味である。
 ところで、インターネットによれば、三日付のニューヨーク・タイムズ紙は安倍晋三氏の総裁選出馬宣言を、「日本の次期首相はタカ派」という見出しで報じ、安倍氏のことを「国家主義的政治家」と評している。
 かつて日本の国家主義は、日本とアジアの二〇〇〇万人以上の尊い人命を奪った。安倍氏は近著『美しい国へ』のなかで「国家」という言葉をしつこく繰り返している。反面、あの侵略戦争にたいする反省の弁は一言もない。新国家主義とも呼ぶべき安倍路線は、いったい日本をどこへ導くのだろうか。平和憲法擁護は、国民として絶対譲れぬ「一分」である。
「靖国」こそ総裁選争点(’6.08.06)
 安倍官房長官は、みずからの靖国四月参拝に関連して、「参拝の是非を総裁選で取り上げるかは各候補者の見識」と述べた。また首相になっても靖国にたいする「自身の気持ち」は変えないと言明している。
 靖国神社はあの戦争を「自存自衛のため」の戦争といい、東条英機らを「昭和殉難者」として祀っている神社である。遺族はともかくとして、政治指導者が参拝することは、韓国・中国など近隣諸国との友好関係の発展と絶対に両立しない。
 安倍氏の近著『美しい国へ』を読んでも、日本の外交の将来像として「日・印・豪・米との連携」をめざすとあり、韓国・中国が完全に欠落している。こんな人物に日本の国のかじ取りをゆだねられるだろうか。総裁選では、靖国問題こそ、中心的争点に据え、国民の前で正々堂々と論じ合うべきである。
市は保険料の無駄遣いをやめよ('06.07.06)
 
老人医療保険に加入しているが、二ヵ月に一度、「このお知らせは、支払いの通知ではありません」と断った通知が市から送られてくる。どの医療機関・薬局でどれだけ医療費を使ったかという通知である。
 松山市では老人医療保険加入者が五万人いるという。一通五〇円として二五〇万円、年間一五〇〇万円かかる。作業に要する人件費、用紙代など加えれば、費用は数倍になろう。国保加入者全体では、数億円の保険料が使われているのだろう。
 市の担当課に問い合わせたら、「医療費の適正化が目的だが、費用対効果はまったくわからない」という。通知を受けたからといって、必要な治療はやめられない。不必要な医療を受けている不心得者がいたとして、この通知でやめるわけはない。だとしたら、これはまったくの無駄遣いではないか。即刻やめるべきである。
 
安倍長官の国際認識を疑う('06.05.16)
 米下院ハイド国際関係委員長が、「靖国参拝を続けている」ことを理由に、6月の小泉首相訪米の際、米議会での演説を認めないよう求める書簡を下院議長に送ったとの報道に関し、安倍官房長官は記者会見で、「多くの米国議員は信仰の自由の観点からそのような批判はしていない」との認識をのべた。   
 小泉首相は、これまで「あくまで不戦の誓いのため」だと強弁してきた。安倍長官の認識だと、靖国参拝は信仰上の問題となり、これまでの小泉発言とも矛盾する。
 ハイド議員の批判は、「靖国参拝は第二次世界大戦での悲惨な記憶をもつアメリカ人に対する侵害行為だ」という点にある。中韓両国からの批判と同じである。どうやら安倍長官の認識は国際常識に反しているようである。(ジャーナリスト)
世紀の愚行、プルサーマル('06.04.23)
 チェルノブイリ原発事故から二十六日で二十周年を迎えた。この事故の死者は九千人、後遺症による今後の死者は一万六千人と推定されている。事故発生後一週間で、周辺三〇キロ圏内から約一二万人が避難させられ、最終的に約一万平方キロメートルから約四〇万人が移住し、五〇〇近い町や村が消滅した。
 政府は、先月二十八日、伊方原発3号機のプルサーマル導入を許可した。先進国でプルサーマルを推進しているのは日本だけである。ヨーロッパではイタリア、ドイツ、フランスが原発推進政策を放棄するか、高速増殖炉を廃炉している。
 政府は、原子力安全・保安院が安全確認したことを根拠にしているが、これには各方面から疑問が多い。現に四日前の二十四日には、金沢地裁が耐震性を理由に北陸電力志賀原発2号機の運転差し止め判決を下している。プルサーマルの燃料プルトニウムは、百万分の一グラムの微粒子を吸い込んだだけで肺ガンを誘発する。政府は百年先まで責任が負えるのか。世紀の愚行という他ない。
 

教育基本法、改正は急ぐな('06.04.19)
 自民・公明両党が合意した結果、教育基本法改正案が、今国会会期中にも成立が見込まれている。自民原案にあった「愛国心」を「国と郷土を愛する」と言い換えることで創価学会・公明党側が折れ合ったためである。しかし、普通の国民の普通の常識からみれば、この妥協でなにかが変わったとは、到底思えない。
 創価学会・公明党側が「愛国心」という表現にこだわったのは、創価学会の前身創価教育学会創立者の一人牧口常三郎が、戦時中、神社神道を拒否したため、不敬罪・治安維持法違反で投獄され、巣鴨拘置所内で獄死したことが原因といわれる。
 今から七年前、「国旗・国歌法」という法律が成立した。「国旗は日章旗(日の丸)とする」「国歌は君が代とする」とうたった、たった二条からなる法律である。しかも、成立にあたって、政府は「学校教育で強制することはない」と説明している。
 だが、東京都の例を見るまでもなく、日の丸・君が代は教育現場で事実上強制され、これに従わないという理由で教員の処分者まで出ている。今回の教育基本法改正案も同様であろう。教育現場では、すかさず、「愛国心」の嵐が吹きまくるだろう。創価学会・公明党よ、教祖の死をないがしろにしてよいのか。国民一般は、まだ、そんな法律があったのかどうかさえ知らない。教育の「憲法」といわれる教育基本法の「改正」はけっして安易に急ぐべきではない。