5:45 起床。夜半は普通に雨、朝方はポツポツ。久々に雨の野宿だ。キャンプ場の管理人さんの計らいでテントを炊事棟に張ったが、どうしても柱が邪魔で、テントが外にはみ出て濡れてしまった。 9:00出発。が・・、"津波体験館"が同じ敷地内にあり、三陸地方で見るものではこれが一番と思い寄ってみた。体験ルームでは震度3設定でイスが動き、風と音響で体験させてくれる。場所によっては5m、高い所では28mの津波であった様だ。個人のビデオなどが現実を表しており、ここには地元の人はもう見たくない映像が流れていたが、外から来た自分にはよい体験が出来た。10:20 出発。既に雨は止んでいた。 道は三陸の東日本大震災の被災地を通る。 あれから5年7ヶ月過ぎた。まだ"さら地"のままの町、そこにプレハブの飲み屋や商店だけが出来た町、コンビニやパチンコ屋やスーパーだけが出来た町、小さな仮設住宅がビッシリと並んでいたり、町営アパートの様な大きな建物がズラリと出来ていたりで、復興はマチマチである。 防潮堤の建設が急ピッチに進んでおり、何も無くなった町でもダンプトラックが行き交う。 防潮堤はテレビでは「最高19mの津波に対応」と言っていたが、町毎に高さも形も場所も異なる。中には津波が超えやすいスロープになった町もある。誰が見ても「これじゃ効果無いだろ!」と思えるところもあった。それぞれの町の考えがあるのだろう。 各所に「ここから過去の津波浸水区間」という標識がある。それと町を一緒に写真に撮ればどれだけ凄かったのか一目瞭然だが、その標識は町外れから更に坂を登った所にしかなく、要は町全体とその奥の方まで浸水したのだと言える。 津波の津は港(入りくんだ所)を指す。平野部ではあまり高くはならない。しかし、石巻市では山手から町に入る所に標識があり、市内を出る時に「ここまで」の標識がある。つまり全域が飲み込まれた訳だ。 三陸鉄道は被害が大きく、復旧出来ていない。以前駅が有ったらしき所に○○駅と言う名のバス停がある。一部は線路もトンネルも既にバス専用道路に作り変えた場所もある。 日本三景の松島を通過。 震災から6ヶ月目に来た時は、なんとか観光船が再開した時だった。今日見ると全ての店が普通に戻り、観光客で賑わっていた。「よかったなぁ」。 仙台郵便局に着いているはずのチェーンを受け取りに行くと、今日の宿探しの時間がヤバイ。あきらめて、仙台の手前の七ヶ浜町(半島)の”君が丘公園”にテントを張る。16:10着。 今日はテント設営中に来客2人だ。 三陸は復興で公園の整備どころではない。まして、海岸沿いは防潮堤が作られている最中であり、公園も海水浴場も手が着かない。そのため、野宿の場所も無い。1日かけて走って1箇所見つけるのがやっとだ。地元の人に聞いても、「今はねぇ・・」と思い当たる公園が無いらしい。 |