昭和25年3月13日東京都の認可をいただき「保善寺幼稚園は開園されました。戦時中「紙芝居の会」が開かれ本堂の一隅で上村季雄住職の演じる紙芝居を楽しむ子供たちがいました。
この子供会も戦争の激化と共に消滅してしまいました。戦争が終わった昭和22年頃から「保善寺子供会」が作られ日曜日には子ども達があつまり、幻灯やおはなし、舞踏を楽しむ姿が見られました。
昭和24年頃から、これらの活動を少しでも系統的なものとし、ひとつの教育活動へとの動きが保善寺及びそれを取りまく人々で考えられたのです。
現園長である上村映雄は駒沢大学の学生で児童教育部に属して伽旅行を全国的に展開していました。
この活動と保善寺住職の季雄和尚とが協力し「保善寺幼稚園」は開園されたのです。
第一回の募集で集まった幼児は22名でした。教員1名、園長、事務員として園長夫人の上村安喜があたりました。
こうして小さな幼稚園は戦災で焼け残った本堂を教室として発足したのです。
それから約30年保善寺幼稚園は昭和58年4月学校法人保善寺学園の経営に移管され名実共に公共性、永続性の高い幼稚園としての歩みを続けています。
幼児人口減少期にあっても、当園の園児は減少する事なくかえって増加さえしています。
保善寺学園の母体は、曹洞宗の保善寺です。従って「ほぜんじ幼稚園」は仏教に基づく仏教保育を幼児の保育目標にかかげ「生命尊重−いかせいのち」がモットーです。
園則の第1条には「本園は清新なる仏教精神を基底とし、学校教育法に準拠して幼児を保育し、適当なる環境のもとにおいてその心身の健全なる発達をせしめることを目的とする」と、のべられ毎日の保育にあたっては「円満な人格の形式に重点をおき、良い環境のもとで心身の健全な発達をうながし、よき社会人としての基本的習慣を身につけるように努める」としています。
各年齢の具体的な目標は次のとおりです。
以上に基づいて毎日のカリキーラムは編成されます。