礼拝予定表


月日 招きの言葉 旧約聖書 新約聖書 説教 交読詩編
2月 7日 詩編 100:1~3 使徒 20:1~16 パンを裂くために 51:5~6 17 355 27
14日 詩編 100:1~3 使徒 20:17~24 主に仕える 51:7~11 17 521 27
21日 詩編 100:1~3 使徒 20:15~31 目を覚ましていなさい 51:12~15 17 481 27
28日 詩編 100:1~3 民数記 24:1~9 主の良いとされること 51:16~19 17 357 27
3月 7日 イザヤ 55:6~7 使徒 20:32~38 恵みの言葉にゆだねます 51:20~21 18 510 28
14日 イザヤ 55:6~7 使徒 21:1~16 御心が行われますように 102:1~3 18 310 28
21日 イザヤ 55:6~7 使徒 21:17~26 わたしの言うとおりに 102:4~8 18 311 28
28日 イザヤ 55:6~7 ルカ 23:44~56 御手にゆだねます 102:9~12 18 295 28



2021228.礼拝説教メモ
    民  数  記  2419
        「主の良いとされること」

民数記よりバラムの預言を読みました。今回は、三回目の預言です。先月も三回の預言を見渡しつつお話ししましたので、少し重なることがあるかもしれません。

今回の箇所に入る前に、民数記の全体の流れを見ておきたいと思います。このあと25章では、シティムに滞在していたイスラエルの民が、モアブの娘たちに誘惑される物語が記されています。神々への犠牲をささげる祭りに誘われ、民はペオルのバアルを拝みました。

主は大いに怒り、バアルを拝んだものを殺せと命じます。エジプトから共に旅をしてきた仲間たちを殺せと言われたので、共同体全体は臨在の幕屋の前で嘆きました。主の命令であっても、仲間を殺すことは容易なことではなかったからです。

民が嘆いているとき、一人のイスラエル人がミディアン人の娘を連れてきて、奥の部屋まで入ったと記されています。民の宿営の中でバアルに対する礼拝が行われようとしたのです。人々はこの二人を槍で突き刺しました。この出来事がきっかけとなって、民は主の御言葉に従います。この災害で死んだ者は二万四千人であったと記されています。

この災害のあと、26章に入ります。第二回目の人口調査が行われるという物語です。民数記は1章に記されているように、シナイの荒れ野での人口調査から始まります。主の御言葉を受けた主の民が、そこで数え上げられます。ところが御言葉を受けても、主の御言葉に従うことのできない人々がいました。旧世代の人々です。この人々は、約束の地に入れとの主の命令にも背き、また25章ではモアブの娘たちに誘惑されバアルを拝みます。主に逆らう旧世代の人々が滅び、新しく主の民が編成し直されます。そのしるしが26章以下の人口調査です。

今回のバラムの預言は、旧世代が滅ぼされ、そして新しく約束の地を目指す世代が生み出される。その直前に描かれている物語です。そう考えると、とても象徴的です。バラム自身、呪術師として神々を利用して生きてきた人です。この人が、自分の意志ではなく主に捕らえられて御言葉を正しく語るようにされました。主の民ではなくとも、主は御言葉に従うようにされるという不思議な出来事なのです。  

2327節以降の部分には、バラク王がペオルの頂にバラムを連れて行って、呪うべきイスラエルの民を示す場面が描かれます。山に登って民を示すのは、これで三回目です。いつものように七つの祭壇を築き、雄牛と雄羊を七頭ずつ犠牲としてささげます。

1 バラムは、イスラエルを祝福することが主の良いとされることであると悟り、いつものようにまじないを行いに行くことをせず、顔を荒れ野に向けた。2 バラムは目を凝らして、イスラエルが部族ごとに宿営しているのを見渡した。神の霊がそのとき、彼に臨んだ。

これまでの二回、バラムは祭壇とバラク王を離れて、一人になれる場所に行きます。1節に記されていたように、昔からの習慣の通りにしたのでしょう。一人になってまじないをするのです。ところが二回ともまじないには至らず、主の御言葉が下されました。そしてバラク王に対して、与えられた御言葉を告げるように導かれたのです。

今回は一人になれる場所には行きません。1節には、イスラエルを祝福することが、主の良いこととされることだと悟ったと記されています。今までの二回、バラムはイスラエルを呪うのでなく、祝福するように導かれました。その度にバラク王に脅されますが、それ以上にイスラエルを祝福することによって豊かな平安が与えられたのです。祝福する喜びがバラクの心に満ちているのです。

そしてバラクは荒れ野を見つめます。バラムが目を凝らすと、イスラエルの民が部族ごとに宿営している様子が見えました。ここに記されているのは、肉体の目で見た情景です。しかしバラクの心には、主の祝福に満たされた別の光景が見えていたのだと思います。それはイスラエルの民が主の御守りと祝福を受け、平安のうちに宿営している様子です。  

この民の様子を見ると神の霊がバラムに臨みます。そしてバラムは語り始めます。

3 彼はこの託宣を述べた。
ベオルの子バラムの言葉。
目の澄んだ者の言葉。
 4 神の仰せを聞き
  全能者のお与えになる幻を見る者
倒れ伏し、目を開かれている者の言葉。
 5 いかに良いことか
ヤコブよ、あなたの天幕は
イスラエルよ、あなたの住む所は。
 6 それは広がる谷
大河の岸の園のようだ。
それは主が植えられたアロエの木のよう
水のほとりの杉のようだ。

バラムは、4節で自分が主の御言葉を受け、それを語っていると告げます。その上でイスラエルの民を祝福します。宿営を目で見、そして神の霊によって真実の姿を知らされた言葉です。イスラエルの宿営地が、まるでエデンの園のような豊かさであると語られています。もちろん荒れ野ですから、アロエなど本来のエデンとは異なる木が茂っているのでしょう。けれども主の祝福を豊かに受けているとバラムは見ているのです。

8 エジプトから彼らを導き出された神は
彼らにとって野牛の角のようだ。
彼らは、敵対する国を食らい尽くし
骨を砕き、矢で刺し通す。
9 雄獅子のように伏し
雌獅子のように横たわる彼らを
起き上がらせることができる者があろうか。
あなたを祝福する者は祝福され
あなたを呪う者は呪われる。

主がイスラエルをエジプトから導き出し、そして約束の地を得ると語ります。敵対する国を滅ぼす。民を祝福する者は祝福され、民を呪う者は呪われる。イスラエルを呪おうとしていたバラク王にとっては、耳障りな預言です。

この預言の言葉を聞いてバラク王は怒ります。

10 バラクはバラムに対して激しく怒り、手を打ち鳴らしながら、バラムに言った。「敵に呪いをかけるために招いたのに、見よ、お前は三度も祝福した。 11 自分の所に逃げ帰るがよい。お前を大いに優遇するつもりでいたが、主がそれを差し止められたのだ。」

報酬を与えないという脅しの言葉です。しかしバラムはこの脅しを受けません。たとえバラクが家に満ちる金銀を贈ってくれても、主に逆らうことはできない。主が告げられることを告げるだけです、と。バラムは、人の脅しを拒否します。それはバラクが強かったからではありません。主の祝福が、バラクの呪いをはるかに豊かであったからです。

脅されたバラムは、ひるむどころかさらに豊かにイスラエルの民を祝福します。

17 わたしには彼が見える。しかし、今はいない。
彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。
ひとつの星がヤコブから進み出る。
ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり
モアブのこめかみを打ち砕き
シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。

彼とは主なる神でしょう。主が見え、そして主を仰いでいます。けれども今はいない、間近ではない。今までは主に語らされていたけれど、今は主の祝福に包まれて、バラム自身が自分の言葉でイスラエルを祝福している、というのです。

そして一つの星、一つの笏が現れると預言します。これは王的存在ですが、この時点ではまだイスラエルに王はいません。モーセ、そしてモーセのあとにはヨシュアが、主の御言葉によって民を導きます。主が約束なさった地に、彼らは進んで行くとの預言です。もちろんバラク王も、イスラエルを呪おうとしたことによって、かえって主の呪いを受けることになってしまいます。

25 バラムは立ち上がり、自分の所に帰って行った。バラクも自分の道を去って行った。

バラク王は自分の所に帰って行きます。バラクも自分の道を去って行きました。似たような表現ですが、バラクの道とあります。バラク王にイスラエルを呪えと命じられてバラムはやってきました。しかし呪うどころか、イスラエルを祝福するのです。それはバラム自身、全く予期しない出来事でした。

バラク王より約束された報酬を得ることができなくなりました。けれども、その代わりに道が与えられます。それは主の言葉に従う道です。イスラエルを祝福することによって、バラム自身が主の祝福を受ける道です。

バラムの生き方が変わりました。呪いに頼るのでなく、主の祝福に感激し、主をほめたたえる生き方です。イスラエルも主に逆らう民です。バラムが帰られたように、主が民を造り変えてくださるのです。




   このページの聖書引用は、
    日本聖書協会「新共同訳聖書」を用いています。

   聖書  新共同訳:
        (c)共同訳聖書実行委員会
       Executive Committee of The Common Bible Translation
        (c)日本聖書協会
       Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988