ポーラ美術館 HIRAKU PROJECT VOL.5


記憶と歴史
平野 薫=文

 “古着を糸になるまで分解する、そしてその糸を結び直すことによって、新たな形へと生まれ変える。”

 わたしは、このような方法を用いて作品制作を行い、気配や記憶など実体が不確かで不可思議な存在を追い求めてきました。しかし、わたしが現在も継続するこの方法の中には、これまで自分ですら気付かなかった、秘められた意味があることへと思い至りました。

 ヒトが類人猿から人類へと歩みを進めて以来、ヒトは布と共にありました。古代人は布の文様に祈りを込め、現代人は流行の衣服へと仕立てられた布を纏い生活しています。そんな長い歴史の中で、ヒトは布の上に多くの文化を創造してきましたが、中でも現代社会に多大な影響を与えた産業革命では織物工業がその礎を築きました。そして、産業機械の発展が進めば進むほど、より速くより多くの製品が製造されて、工業化の第一段階に属す織物工業は、低賃金の労働力を求めて工場を移動します。その結果、資本家は富を得ましたが、反面、多くの工場従業者は、貧しさのなかで労働を強いられる不均衡へと陥りました。
 わたしが古着から時間をかけて一本一本糸を引き抜く作品制作の方法、この一見無意味に見える行為の反復。そしてこの作品制作の方法に秘められた意味。それは、この作品制作の方法が、工業化の流れの中にある労働とは対照的なアンチテーゼであり、ヒトがこれまで布と共に歩んできた歴史を遡り内省する行為でもあるということです。

 本展覧会『記憶と歴史』は、わたしが居住したベルリン/広島/長崎の3都市で使用されていた3本の傘を用いた作品と、古い工業用ミシンと廃縫製工場から出たミシン糸を用いた作品とで構成しています。
 天井から下がる「傘の作品」は、雨や風などを想起させると同時に、傘を所有していたヒトの気配や記憶がそこにはあります。そして、不条理な歴史を持つ3つの都市で使用されたものを素材とすることによって、大きな歴史の中にもヒトの日常があり続けていることを示します。
 他方「工業用ミシンとミシン糸の作品」は、一時代前の縫製に使われていた古いミシンを無人で稼働させることによって労働の姿を形にします。大きな音と振動をともなって高速で動くミシンには、近づくことを躊躇させる恐怖感を抱くでしょうが、加えてこのミシンの製造会社が、過去に機関銃を製造していたということを知れば、その音色もいっそう異なるものに響くことでしょう。しかし、かつて実際に、このミシンと一体となってヒトが布を縫製していたのです。そして、かつての縫製工場で(或いは現在もどこかの縫製工場で)、このようなミシンが何台も一斉に稼働している労働の場があったことを(或いは現在も存在している可能性を)この作品から思い出すことでしょう。

 展覧会『記憶と歴史』では、わたしがこれまで続けてきた「古着を糸に分解して、その糸を結び、新たな形へと生まれ変える」という方法に加え、新たに「近代的な産業機械と技術を導入すること」によって、布を起点にしつつ、わたしたちがいるこの世界の在り方について考えたいのです。



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