われ山に向かいて目をあぐ
―詩篇121篇―

坂内宗男

 
1都に上る歌
 目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
 わたしの助けはどこから来るか。
2わたしの助けは来る
   天地を造られた主のもとから。

3どうか、主があなたを助けて
   足がよろめかないように
 まどろむことなく見守ってくださるように。
4見よ、イスラエルを見守る方は
   まどろむことなく、眠ることもない。
5主はあなたを見守る方
 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
6昼、太陽はあなたを撃つことなく
 夜、月もあなたを撃つことがない。

7主がすべての災いを遠ざけて
 あなたを見守り
   あなたの魂を見守ってくださるように。
8あなたの出で立つのも帰るのも
   主が見守ってくださるように。
 今も、そしてとこしえに。

 このような千葉の聖日礼拝にお招き受けたのは2回目でして、1994年9月10日に横芝聖書集会で「互いに愛せよ」(ヨハネ伝15章12〜17節)の題でお話させていただきました。大網聖書集会の皆様とは初めてお目にかかりますのでよろしくお願いします。
 さて、本篇は、詩篇第五巻(107〜150篇)の中で京詣(都もうで)歌集(120〜134篇)に入ります。原意は「上りの歌」でありましてなにが「上り」であるかは諸説あるのですが「都上り」がふさわしいとされ、また詩篇に編入される以前にすでに小歌集として用いられていたようです。文学類型としては対話形式に基づく「信頼の歌」でありまして、教会ではしばしば交読文として用いられ、奇しくも本日の集会でも本篇が交読されたところであります。では誰との対話か、主の助けを求める一般群衆と祭司、シオンへの巡礼者と祭司、いや父子との問答だ、とか色々いわれているのですが、私は都詣でに旅するときに歌われた、との解釈から、巡礼者たちが、語り合いたい主題を交互に歌に出して和し、胸の高まりの中で主信頼・讃美の合唱をしながらシオンの山に向かう姿を想起したいのであります。突き詰めて考えてみますと、山あり谷ありの人生の荒波の旅路において、ただヤハウェなる神の助け、信頼にゆだねて歩む旅人・寄寓者の姿を表白しているといえて、それは即ち私たちキリスト信仰者のあるべき姿の反映でもある、と思うのです。

 (二)
 本文の全体像は2節までが前半であって、わたし(一人称)なる語り手(本篇詩人)と主なる神との対話であります。旅立つわたしのいわば自問自答でありまして、旅路を守る者は「助け」手たるヤハウェであり、その方は天地の創り主であると断言する。そしてこの創造信仰が本篇全体を総括する。後半(3〜8節)は語り手詩人が、あなたなる者と主との関係にあって第三者の立場で見、あなた(旅立つ者)にたいする主の固い「見守り(6回繰り返される)」はとこしえにゆらぐことがない、と励ますのであります。
 総じて神絶対信頼の詩人の姿勢を見ることができましょう。
 ではさらに内容に立ち入ってみます。まず1〜2節を見るとき詩人の沸々とした思いがキリスト信仰に生きんとする者の生きざまの現実と重なって参り古来特愛の名句といわれたのもむべなるかなと思わされます。詩篇の成立が捕囚期後とするならば、帰還してもペルシアの支配下で祖国はなく、雑婚社会のバール崇拝の満ち満ちた惨澹たる異郷の如き現実のなかで、尚且つ否それだからこそその現実を見据えてより強くきっとシオンの山々(原意は複数、威厳の意)を見上げ、そこに神の現臨と救済を信じる神信頼の心情に圧倒されるのです(1節)。これこそ恵み(へセト)と真実(エムナー)に満ちた(詩篇89篇2節)ヤハウェ神という他宗教には見られないヘブライ思想の精髄なのでありましょう。ここで、「山」という概念について、日本思想とは異なることを踏まえないと本篇の真意は理解できないことをあえて記しておきたいと思います。日本人は農耕民族として、大自然の四季に恵まれた自然の中で自然と調和し、自然の中で自然と共に生きて来、山も暖かく包含する山としてとらえてきたのであります。従って自然一つひとつに魂が宿るというアニミズム・八百神(やおよろず)信仰がここから生まれ、日本の精神を規定したといってよいのであります。従って梅原猛氏(京都学派)などは、人間に争いが絶えぬのはそもそも排他的な一神教信仰(ユダヤ教、エスラム教、キリスト教)に基くものであって、平和であるには八百神が共存する日本的「和」の社会に帰らねばならない、というのです。このような論に至らしめた責任の一半はキリスト教側にもあります。あのパレスチナのごとき岩肌の荒々しい山、厳しい砂漠の中に生きるべトウィンのごとき遊牧民にとっては、自然は人間と対立する概念であって、天地創造の由来(創世記2章)においても神より造られた人は、地を耕す・大地にメスを入れる者とされたというのであります。ここに文化・科学が生まれ、西欧文明が近代化の基礎となったのでありますが、今日かえって人間自らの首を絞めている(原水爆の出現、環境破壊、果てしない殺し合い等)のは今述べたキリスト教思想に淵源があるといいたいのでありましょう。しかし、これが決定的に間違っているのは、ヤハウェなる神は人一人ひとりを自らの似姿に造られたかけがえのない神であるということであります。そしてこの神は排他的単一神(かっての国家神道の如き)ではない天地を創造し、この地を導き、神の国へと導かれる徹底的唯一神なのであって、従ってわたし共はこの主を生きる原点とする責任ある個の主体として、他者共存の愛の社会を営むということであります。他方個を殺して和に生きる日本社会が、天皇制社会の中でいかに歪んだ歴史をもたらし今ももたらしているかは申すまでもないことです。最近月本昭男氏(旧約学者・経堂聖書会<無教会>)がこの「耕す」を大地に「仕える」人が原意であると訳しておられる(岩波版)ことは卓見であり、人間は大地を耕し、協和し、共に生き・生かされるの意味において自然に仕える者といえるのであります。
 石川啄木はいいました。「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」(一握の砂)。18歳まで山奥で育ったわたしも別の意味で全く同感の思いがします。今のわたしの山は、涙の谷にあってもやさしく包んでくれる山のみあらず、時には突き放す峻厳なる審きの山でもあるということです。事実、あのモーセがシナイ山で十戒を神より与えられる時に臨んだ神の来臨は、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、全山煙に包まれ、主が火の中を山の上に下られ、山全体が激しく震えた、とあります(出エジプト記19章16〜19節)。またイエスの死(十字架刑)にあっては、全地は暗くなり、・・・神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け・・・とマタイ記者は記したのです(27章45節、51節)。ヤハウェなる神は、目に見える山(全地)を通して義にして愛なる神であることを示されたのです。そこにあってこそ詩人は助けは創造主から来る、その確信は不変不動だ(2節)といったのであります。何という信仰の深さよ!
 客観的事実として、主はあなたの足を固く立たしめ、常に不眠不休であなた(旅人)を見守ってくださる(3節)生ける神であり、もはや浮ついた歩みはない、というのであります。事実、見よ、主は過去から今、将来に至るまで常にイスラエルを誘惑から守り、意味をもって介入し給う守護神である(4節)ことを承認し、この救済史観(創造・歴史信仰)こそ神への信頼の源なのである、というのです。5節の「陰」とは灼熱を防ぐ蔽いの意で、「右」とは最真近か、ということでありますから、かくの如く主はあなたに寄り添い万全に守り給う、という強い確信と約束を思わしめられるのです。6〜8節は旅人たるあなたの身辺を主は常に守られることを更に具体的に示したもので、太陽の光と月の危険(日射病、寒気・月射病等)、災い、肉体・霊魂、一挙手一投足あらゆるすべてをも見守ってくださり、最後にそれが「今も、そしてとこしえに」とヤハウェ神絶対信頼で結んでいます。
 全体として、深い信仰と満腔の希望に溢れた胸おどる愛の詩であります。激しい魂の内面の苦悶や悲哀は跡をとどめず、静かに神信頼の幸いを述べる詩人の姿勢には脱帽します。助け手たる神を信ずる者には常に助けがあり、神はいつどこにあっても守り手であられるという揺るがざる信頼とほとばしる泉の如き祈りの力にも圧倒されます。そこには救済史観に基づく詩人の神観の魂の偉大さを思わしめ、その一片でも身に受けたく願うものであります。

 (三)
 ではなぜ121篇(とくに1〜2節)を取上げたのか、と申しますと、申すまでもなく現代はあまりにも目の前の事象・物欲にとりつかれ、「空の模様を見分けることを知りながら、時のしるしを見分けることができない」(マタイ伝16章3節)結局は自らの首を絞める精神的貧困者たる現代人の姿を思うにつけ、この詩人の如き単純な信仰に立ち返るべきだ、と思うからです。今は益々不透明な時代といわれてますが、あの詩人の時代とどこがちがうのか、要は人間その者の在り方、生き方の問題なのでありまして、何の為に、何によって生きるのか、自らの生き方・生きざまが今かえって問われているのであって、ひるがえって原点にたち帰り、あの詩人の極めて単純素朴な「われ山に向いて目をあぐ」のハートに圧倒されるのです。
 この6月24日、わたしの敬愛する高橋三郎先生が召天されました(89歳)。先生に対する思いはただ今皆様にお配りしました「真理の証人―高橋三郎先生」(『キ政連』誌361号)を読んでいただきたいのですが、かって先生が聖日礼拝でしばしばいわれたことは、「わたしを見ないでイエスを見なさい(人物崇拝への戒め)」「集会はどんな集会でも欠如体であるので、それを補ってくださるのはイエスの愛であること(エクレシアの重要性)」「恩恵ドロボーになるな(恵みの分ち合い)」ということでした。すぐれた独立伝道者がほとんど天に召された今果たして今後無教会は存立しうるのか心配される向きがあるようですが、わたしは逆転の発想でありまして、今こそ神の配剤として、あの「2人または3人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ伝18章20節)というまさに教会(エクレシア)の本質、それを目指す無教会の「教会なき教会」が本物であるかどうか神によって問われている、端的には受けた恵みをもっと隣人に分かち合う積極的姿勢こそが肝要で、あとは「明日のことを思いわずらわず(マタイ伝6章34節)」全てを主に委ねて歩む、それがまた「イエス・キリストのみ」の純福音に生きる無教会の真の姿ではありませんか。それにしても、都会の集会がともすれば先生中心主義なのは人間的弱さの弊害が起因だと思われ、今日の集会のように、内村鑑三と海保竹松の出合いから連綿とした信仰者の人格的継承の中心にヤハウェなる神を頭とし、御子イエス・キリストを集会の中心にお招きして主を讃美いたす集いこそ本物・無教会の真の姿だと改めて知らされるのであります。
 最後にわたしの田舎(ふる里)のことに触れさせていただきます。わたしは1934年福島県の奥会津、新潟との県境に連なる越後山脈をはさんで、半年は雪で埋もれ、山あいに80数戸が点在する6戸固まりの村落に生を享け、18歳まで育ちましたが、今は「限界集落」の典型で消滅の瀬戸際にあり、余計に「われ山に向かいて目をあぐ」の思いが強くあります。そこにはわが国農政の貧困の問題とともに農業者自らの生き方が根源的に問われており、わが国の現状と在るべき姿が凝縮しているように思われます。都市近郊の農業とそれとは異なった大多数の山村の農業だけでは食って行けない地域(しかも保守の地盤)とは分けたきめ細かな農政(わたしは農業の二重構造といってます)があるべきで、農は国生存の骨格であることは古今不変の真理であることを確認、農業者の育成に官民共同で眼の色変えて尽力すべき時ではないでしょうか。よい環境づくりと生きがいを与える大人の責任は大きいと思います。
 まさにわがふる里の山は、かかる意味で人の織りなす人生のひだを見、なおかついつでも大手をひろげて包んでくれる山でもあり、今私の如き十字架の言を食らって生きるキリスト者としては、地の塩としての発想の転換により、個を生かして大地に仕える、あの山こそ義と愛に富み給うヤハウェなる神の臨在を映し出しているのだ、ともいえて、大能の御手を受けて、きっと山に向いて目をあげ、主の御経綸に従って歩みたく念ずる次第であります。
 (2010年9月19日の聖日、大網・横芝合同聖書集会(足立哲郎氏宅、出席者11名)で証ししたものです。)

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