私にとっての無教会信仰
〜高橋先生の塚本批判から学ぶ〜

坂内宗男

 (1) 
 昨年の12月6日、高橋聖書集会のコイノ二アにおいて大津兄が「塚本のへブル書講義を読んで」と題し大変貴重な報告されたのに啓発されて、改めて『へブル書講義』(「聖書知識社」1945年発行)を読み、『十字架の言』2002年10月号「塚本虎二先生の無教会論」・「塚本虎二著『へブル書講義』の問題点」を再読して、福音の奥行きの深さを学んだので、それ等を紹介し、私の福音理解を述べて見たい。
 そもそも、へブル書は、福音書(そして使徒行伝)、パウロ書簡と一般書簡(そして預言書たるヨハネ黙示録)の間に挟まれて編集されている実に奇妙な書簡(手紙)であって、手紙の形式をとった勧告―論文または説教といわれている。執筆期は、パウロの思想の上に立ち、迫害の記述からネロに次ぐ教会の迫害者ドミチアヌス帝の時代を推定して80年頃とされるが、執筆者・執筆時期・宛先も明確ではなく、パウロから学んだアレキサンドリア的ヘレニズム世界のユダヤ教の教養を身に付けた人で、おそらくローマに住むヘブライ人に宛てたものではないか、とかで定かではない。ともあれ、肝要なのはその思想であって、迫害下にあって、福音の本質を明示し、キリストこそ神に立てられた天にある全き大祭司である、と信仰の勝利と真理性を謳ったことにあった。
 さて「『へブル書講義』は1938年軽井沢での夏期講習会で語ったもので、ルターこそ本書を最高に評価しそうなのにパウロ、ペテロ、ヨハネのものに劣るとしたのは彼の聖書理解の限界にあり、われらの無教会主義ほど宗教改革が徹底しなかったのはこのためとし、第二の宗教改革はへブル書をもってなされよう、といい、本書は新約聖書,全聖書の絶頂である、とする。そして、本書があまり読まれないのは旧約的で、甚だ難解である点で、ヨハネ黙示録やヨハネ伝同様謎の本であって、本書の頂上はもっと高いところにあって、普通の目からは遮られているように思われ、本書こそキリスト教の真精神、徹底した新教主義の結論を示すもので、神は今まで本書を封印し、これを解く光栄を日本のクリスチャンのために留保しておかれたように思われる、という。そのわけは、キリストはアロン(出エジプトの指導者モーセの兄として、レビ族たる祭司階級のトップに立つ精神的指導者)にまさるメルキゼテク(創世紀14章18節)の位に等しい大祭司であるから、もはやアロン系の礼拝は廃止され、儀式や僧職の必要もなく、我々は人間の仲保者を介せずに、直接にキリストを通して神の前に出るべきとする各人祭司・牧師主義の主張であり、ここに旧約自身も完全に廃棄されて新約の新しい礼拝が生まれたことで、凡ての物質的なものが霊的なものに置き換えられ、「霊と真」とをもって父を拝する時がきた(ヨハネ伝4章23節)ことを意味する。この純霊的宗教を主張する本書は、キリスト教信仰の最高峰である、といい、塚本が無教会「主義」とあえて主張し、特にカトリックに対する塚本の気迫溢れる激しい批判は、純福音に立つ無教会信仰で歩む私達にとって、今日でもその真理性として受止めることができよう。
 特に1959年の2月、学生サナトリウムで身を伏していた私にとって、3か月の絶対安静が解かれ、一階に降りて応接室(図書室兼用)に置かれた雑誌『聖書知識』にたまたま手に触れたのが運命の出会いであって、その直截な神の言葉(「断片録」と思われるが今も謎のまま)が私の心を捉え、唯物史観に立っていた筈の私が神に捉えられ(これが私の回心)、坂井基始良(矢内原門下)との出会い→登戸学寮入寮(60年5月、翌年新高橋寮長との出会い)→無教会信仰を真理と受止め、私の人生を決めたこと、またこの後結婚して与えられた義母が、女学生の時から塚本先生に導かれ、夫、家族(妻を含めて)を信仰に導いた方であって、その生きざまを通して塚本の生を知る私にとって、塚本を外面的理解だけで判断することはない、と申し上げるにやぶさかではない。

 (2)
 さて、高橋先生が02年10月に2つの論考をもって塚本批判をされたわけを考えると、当初の「なぜ今になって」の思いから、今は先生の私たちに対する遺言として為されたものと理解し、先生の信仰の総決算として、もっとも強硬に無教会論を展開した塚本の原点たる『へブル書講義』(今も取上げるに値する)を正面に据え、今最も重大で欠けている神観の問題と贖罪信仰について、正しく受止めるべく力説されていることは、02年以降の諸論考からみても明白であり、その思いを、私は今年の3月21日の聖日礼拝にて「唯一なる神に従う」と題し第一戒の意義を語らせていただいた、のであった。そして、是非『へブル書講義』を読んで欲しいと申上げた(アナウンスで)のは、02年の先生の記述だけを読んで「ああそうか」ではなく、それだけの値するもの(『へブル書講義』)を読んで、何が真理の継承なのか、その真理性を心に刻んで欲しい、と願ったからにほかならない。
 「塚本虎二先生の無教会論」において、塚本の無教会論に、心から共鳴していた先生は、ドイツ帰国後の信仰一人旅において、一つの距離を置くようになり、このたび『私の無教会主義』、『内村鑑三先生と私』を読んで私の立場は確定したと感じている、といわれる。それは「私は私の信じる無教会的信仰のみが唯一正統の信仰であって、現代教会の信仰と私のそれとは地球の両極のごとく相違してゐると信ずる」(『私の無教会主義』214頁)という断定は、排他的ドグマであって、カトリック攻撃も一歩間違えると断罪の言葉になりかねず、「信仰(のみ)によって救われる」という命題を、「信仰のみ」で必要十分条件とすると、信仰の一人歩きとなって、「信仰」という徳を日々積み重ねることによって「救い」が得られるという法律的思惟形式に堕し(ルター・カルバンも同様の過ちを犯した)、明らかに内村鑑三のいう「信仰は救いの原因ではなく、その結果である」、「人は救いにあずかることによって信じる者となる」という信仰理解・人格的受容の問題とは異なり、キリストの体なる集合人格としてのエクレシア、「神の民」として地上を歩む責任と課題を担うことはできないのではないか、塚本先生に対する私の接続は、ここから始まる、といわれるのである。
 「『へブル書講義』の問題点」においては、「旧い契約は破棄された」とすると、第一戒(唯一の真なる神以外の何者も神としてはならぬ)までも視野の外に切り捨てるという重大な神観の欠如、思想的・神学的欠陥を招き、「信仰のみ」という救済論の中核に集中したことにより、当時の荒れ狂った国家神道問題に対する不徹底な対応、天皇中心の国家主義的教育思想と、神中心のキリスト教倫理との相違を、どの程度まで明確に把握していたか、きわめて疑わしく、この不透明な神観に立脚しつつ第二の宗教改革を論じたとしても、それは水に浮かぶ根無し草に等しいのではあるまいか、と手厳しい。これは、まさに当時のキリスト教会(他の宗教団体と同じく)のこの世とあの世、政治と信仰(教会)を分離した二元論に立ち、結局国家に取込まれ、皇国臣民として侵略戦争に加担し敗北、また隣国(特に朝鮮)の神社参拝強制を拒否するキリスト信徒の戦いに身を寄せるどころか「儀礼」として参拝を勧めた罪責と同根にあるといえよう。
 今でもみられる無教会の「神の国」あるいは「神の民」という視点を欠落させた個人主義的救済論は、残念ながら塚本も例外ではなく、無教会主義が本当に第二の宗教改革を実現する器であるとすれば、我々は神観の問題に立ち返り、第一歩から出直さなければならない、といわれるのだ。

 (3)  
 さてここで先生は、第一戒の宣言は、他の神々(つまり偶像、イスラエルの民が沃地に入ってはバアル宗教、わが国は典型的偶像崇拝の国)にイスラエルの民が拝跪することによって滅びに転落してはならぬという神の救済意思の表明である、といわれる。と同時に、イエス・キリストを通して十字架の苦難のどん底から「わが愛を受けよ」と呼びかけ給う神の呻きにほかならず、従って第一戒と十字架の贖罪信仰とは不離一体の関係において受止めるべきものであり(「第一の戒め」<十字架の言>02年4月号)、更に贖罪信仰なるもの(後記)に切込まれたことは、今日最も欠落した信仰の核心を摘出された、といっていい、と思う。ところが現実には、贖罪信仰は第一戒から切り離され、西欧では「神の支配(第一戒)」思想に基づくキリスト教的排他性(十字軍や宗教戦争を見よ)がいかに今日まで悪影響を及ぼしているか、また日本では、逆に第一戒の軽視が天皇制批判の欠如のみならず、どんな事態を招いたか、既述の如くなのである。十字架を通して啓示された神の憐れみ、この「憐れみの神」が創造主として今も天に在り、義なる支配者として君臨しておられるという信仰は、国家社会全体が破滅に突入しようとしている現在、我々の生存の最終的基盤となるであろう、といわれ、改めて両者の不離一体性なる意味を学ぶのである。
 ところで、贖罪信仰にはイザヤ書53章に基づく贖罪信仰と、神殿に犠牲の動物を献げる(イサクの献祭<創世記22章>〜)という祭儀的慣行とを綜合して、罪の赦しの福音とは、我々の受けるべき罰をイエスが身代わりとなってお引き受けくださったという「刑罰代受説」が、贖罪信仰の最終的結論として2千年のわたる教会史を一貫して現在に至っているが、そのことが重大な事態を招く事になった、といわれる(「受難節の黙想<再び>」<十字架の言>06年11月号)。すなわち、イエスを十字架の死に追い詰めた肝心の張本人たる大祭司カヤパやサンへドリン等要人たちの高ぶりと叛逆―罪の実態を視野の外に切り捨てたことにある。このことから、肝心の罪責者は棚上げされ(いな、かえって彼らは裁く側に立ち)、刑罰代受説を信ずる者には赦しの恵みを与え、信じ受けない人や信仰に誤りがあれば、その人は救いの外に落ちるとしたことから、重大な宗教的差別、異端裁判など残虐な処罰が連綿と行われ、西欧キリスト教史の大変な汚点となったのであって、主の御旨に真向からそむく事であったことは申すまでもないことである。この自己矛盾は明らかである。先生はいわれる。「私の信ずるところによれば、イエスを十字架の死に追い詰めたのは私自身である」。そして、あの大祭司の姿の中に、我々の罪が典型的に現れている、という理解にまで至らねばならない、のだと。我々人間の罪が、神殿宗教という形を取って、イエスの上に襲いかかり、憐れみの主であるイエスは、人類の救いのために、罪の根源的問題点に切込まれ、あの都上りを敢行されて、神殿突入に至った。それが相手の反撃を招き、死ぬほかないことは御承知の決行だったわけで、そういう意味において、主は我々の罪を一身にお引き受け下さった。ここにこそ贖罪信仰の中心があると私は信じる、と。
 同じ理由から、日本の天皇制は、あの神殿宗教における大祭司と同じ姿を持っていたのであるから、これについての明確な理解があったとすれば、戦中の天皇制に対するキリスト信徒の対応も違った形になったのではないか、とは重大な指摘であろう。
 ここに先生は出エジプトからイエスにまで至る歴史の厚みを通して、神の支配の真相を語られ、神の憐れみの発現が十字架の死を招いたとも言えて、十字架において私の罪が断罪され、しかし十字架において神は私の罪を受け止めて下さり、十字架において功(いさお)なき私に義の宣告があたえられた。このように神に受け入れて頂き、神のものとされる事だけを自分の誇りとして生きて行きなさいという呼びかけをここに見、私達は権力支配が渦巻くこの悪の世において、十字架の旗を立て、再臨の日を待ち望みつつ歩むことが私共キリスト信徒の使命ではないか、といわれるのだ。

 (4)
 最後に「新約聖書の構造」(<十字架の言>09年8月終刊号)は先生の遺言ともいえる重い内容を持つ重大提言である。
 キリスト教は仏教、エスラム教等三大宗教の一つとして、世界に大きな影響を及ぼしているが、キリスト教ほど教派・分派の多い宗教はなく(カトリックとプロテスタントの対立を始めとして、二万以上<プロテスタントに圧倒的に多い>と無数に近い)、信じ仰ぐ神は唯一で、救い主もイエス・キリスト唯一人であるのに、教会はなぜかくも深刻な分裂を重ねるのだろうか。理由は唯一つ、聖書は一つなのに読み方が違うからで、また新約聖書をとれば、完全な一枚岩ではなく、この多様性の背後にいかなる事態がひそんでいるか、その大要を探ることによりなにが重要かを知ることだ、といわれる。
 そして、仔細に検討すると、事柄は単純で、パウロ書簡と共観福音書はそれぞれ別個の叙述として見直す必要があり、しかし言わんとしていること(福音)は同じで、大事なことは、この福音の二重構造の中に、深い真理がひそんでいる、真理表現の複数性(勿論到達する真理は一つ)に着目することだ、ということにあるという。これは実に重大な指摘であって、我々無教会はまさにそれを目指し、いなそれに尽きる、とも言っていい単純なエクレシア・グループといってよいのである。。
 私は、生前(肉的)のイエスを知らないパウロ(又はUパウロ)が書いた書簡が新約聖書の約半分を占めている事実に注目したい。それは彼の言っていること、生きざまが「ただ真理そのものである」からこそ収録されたにほかならない、と思う。彼はローマ書冒頭で喝破しているように、「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選びだされ、召されて使途となったパウロ」として、この世の肉的しがらみとは一切かかわりなく、ただ祈りにおいて神から直接イエス・キリストの福音を述べ伝えるべく召しだされた者だ、といい、従って彼の説く福音は、彼の独創的思想の展開であった、という重大な事実に着目する必要がある、と先生はいわれる。大事なことは、これらが彼の独断や偏見なのではなく、旧約聖書の全体に通じ、そこに書き記されていた旧約聖書の約束が、イエスにおいて実現した、と言う道筋を発見したことにある、というのだ。ここから、彼は当時のエルサレム教会で信奉されていた12使徒団から受け継いでいた伝承―キリスト論・聖餐式・イエスの復活顕現の三点を土台として踏まえつつ、その上に、福音についての独創的世界を構築したのである、と。そして彼は「正しい福音」を守り抜くため福音の歪曲化と戦わねばならなかったが、他方彼の呪いの宣言(ガラテヤ書1章8〜9節)が法律的思考に基づく断罪思想として後世に深刻な影響を及ぼしたことを考えると、我々はいかにして正しい信仰のあり方に立ち返ることができるか、という重大な課題を負っている、といわれるのである。
 福音書において、最後の締めくくりは、イエスの生涯の終わりに決行されたエルサレム神殿の粛清と、その必然的結果として生じた十字架上の死を語ることにあるが、最後の晩餐とそれに続く十字架刑についての記録(→十字架と復活)が福音書の最終目標と見るとき、パウロ的信仰理解と福音書の語るイエス像との接点がここに示され、両者はまさに同じ神の救いを告白しており、換言すれば絶対者なる神の救いをただ一つの言葉で包括し尽す事はできないのであって、頂上の一点に向かって各種の異なった登山ルートを経ることからその山全体の姿をよりよく知ることができる如く、様々の視点から真理を分担し、福音の真相に迫ることにこそ福音の厚み(真理)を良く知ることができるという複合的理解(内村鑑三のいう真理の楕円形的理解)の重要性であって、このあとヨハネ福音書が出た必然性もより深く理解することができ、福音の叙述形式の新たなる展開をここに見る事ができることを深く感謝したい、とは至言であろう。反対に頭ごなしの断罪からはむしろ真理は遠のくことを知るべきであろう。我々は、この謙虚な姿勢(己<人間>の限界を知る者にこそ生まれるもの)、相互に他者を受け入れる大らかな生きざまにこそかえってより深く真理に迫り得る、といわれる言葉をかみしめたい。この姿勢こそまた無教会のエートスであるべきで、またキリスト者・教会が地の塩としてこの世に光を放つ原点であると確信する。

 (5)
 私の無教会信仰(先生から学んだものを通して):
 私が登戸学寮に入寮してまもなく、寮生の先輩からガリ版手造りの『方舟』創刊号(1959年6月刊、年刊)を見せて貰い、釘付けになって、以後の私を決定付けたのは、次の内村の言葉であった。
 主義に非ず、性格なり、教理に非ず、生命なり、基督教に非ず、キリストなり、主義は如何に高きも、教理は如何に深きも儀文にして束縛なり、我らは直に活けるキリストに到り、其生命を受けて眞の自由に入るべきなり。(『聖書之研究』1906年10月・80号)
 ここでの《性格》とは「感性、性質→神の人格(ロゴス)そのもの」
と解すると、この直截な言葉が私を捉えた背後に、内村の信仰の特徴である圧倒的な神に在る「自由」と「独立」を基調とする実験的(観念的でない)キリスト教を生涯を通して追求した血と涙の所産としての無教会信仰があり、それを高橋先生の言葉にあてはめてみると、あの内村のいうドグマに捉われないフレキシブルな信仰把握「真理の楕円形性」と相通ずる「真理表現の複数性」という信仰把握としてこれをみるのである。
 一体『無教会信仰』グループとは、思想・哲学の如く「人は何の為に、如何に生きるか」という永遠の課題を「教会無き教会」という理想(神の国)をこの地に追い求め、実現せんと努める純福音把握の信仰共同体なのであって、現実には不可能を可能と信じ励む未完成のキリスト信仰体といってもいいと思う。感謝すべきは、多くの教会指導者が言った「教義なき無教会」は、内村なきあとには霧散、消滅するといった預言に対しては、「無教会」グループ形成されてすでに百年余の歴史がそれに応え、自ずと使徒信條そのままに「三位一体」、「キリストの贖い」「十字架」「復活」を固く信じる信仰共同体として、極めて保守的・根本的な、いなラジカルな存在として今日も地の塩としての役割を果たしてきたとするならば、あの預言は正しく偽預言であったことになり、今の我々の歩みは、正しく神のあわれみとして生かされてきた恩恵(救いの結果としての信仰)にあると解せるのであって、主の御経綸にあずかる感謝は尽きないものがある。
 大体キリスト信仰とは、聖書が旧約聖書と新約聖書から成り、車の両輪として不離一体の関係に在ることによって形成されるものであり、決して旧約→新約といったタテの関係(歴史的にはそうであっても)で成るものではない。また神の御経綸に生きるキリストの群れたる私達は、神―己(個の人間)というキリストを介した義たるタテの関係と、神の子たるキリストの愛(義に裏付けられた愛《アガペー》)をこの地に生かすエクレシア(ヨコの関係)の十字(その十字の中心はキリスト)の軋りにあって血の塩として生きることに尽きるのである。この義と愛の関係は、歴史的・現象的にどちらかが強かったり弱かったりすることによりセクトが生まれやすいのであるが、つねに中心(十字)に収斂することが求められ、この複合的生、一元的生き方こそ福音の健全性の要である、といえよう。無教会の歴史をみると、かっては内村始め二代目などは、すぐれたリーダーの下に、義に基づくキリストの愛が(男性中心に)強調されたのであるが、これ等リーダーの召天に伴い、先生中心主義の欠陥(イエスを見ないで肉的人間に頼る弱さ)を補い、一人ひとりが神の召し(義)に従い、キリストの御名の下に相集い、主を賛美し、各々に与えられた神からのタラントを生かして、福音の喜びを分かち合う(マタイ伝18章20節)文字通りキリストの愛(アガぺー)がエクレシアの連帯に在ってみなぎる絶好の機会が今与えられているとポジティブに受止めたい。私達は、この純福音の原点に立つことを神によって今こそ示されたことを感謝し、無教会の将来を嘆く愚はやめ、全てを主の御手におゆだねして、与えられた馳せ場を上を向き歩むことにこそキリスト者としての生きる姿があるのではなかろうか。
 再言するが、「無教会信仰」とはそのフレキシビリティー(柔軟性)が生命でその結晶と思う。体験的事実として、私はエキュメニカル(キリスト教会の一致と協力)なプロテスタント・キリスト教協議会(NCC)靖国神社問題委員会に携わって30年を過ぎたが、多くの牧師・教会者との交わりにあって、無教会信仰を与えられたことがいかに祝福であったことか、身にしみて感じている。外に出て内のことがかえってよく判るというものである。つまり、教会は組織といった世俗の目の前のことにどうしても目を奪われ、この世に存在する教会の本質がともすればおろそかにされる、と言う問題である。たとえば日基教団が関西万博キリスト教会館もめぐって牧師間でヘルメットをかぶっての長い間の血と憎しみのバトル、社会派と福音派の争い、今は聖餐の問題で勝手に規則を変えて当該牧師を首にするとか暴力的紛争は絶えず、結果的には「福音に立ち返れ」の名で今の政治と同じ保守路線を歩み、NCCも巻き込もうとする罪責感なきサタン的動きの問題なのである。また、良心的牧師が、一番大事な教会の場で本音が語れない、平和や天皇のことに触れると首に成りかねない(事実知人の牧師は自ら開拓した教会を追われた)という教会の体質との闘いを知るにつれ、牧師の苦悩に共感しわが身に振り返ることは、独善的に成らない為にも、信仰の回生にとってとても大事なこととおもわれる。
 振り返って、無教会の現状をみるに、かって戦中に天皇制軍国主義と闘った果敢な我々の先人を鑑としていま生きているのか、戦後はむしろ教会にとってかわったともいえる無教会の蛸壺化の問題である。その原因は明白で、同じキリストを主と仰ぐ教会者の苦しみを共感しない(知ろうとしない)個人主義的信仰に閉塞化してしまったことにある。高橋先生は、かってしばしば「恩恵ドロボーになるな」といわれた。私達が主にあって今日ある恩恵を忘れては主の証しはできない。人間とはまま成らぬホモサピエンスなのだ。無教会という主の恵みをいただいても、たとえば無教会集会にとって大事な集会場の確保を考えると、場所を借りても賛美歌は歌えず、讃美歌を読んでいるところもあることを見、考えさせられたことがある。又、貸す方がおられるから集会ができるのであって、聴講料を支払えば済む事柄ではないであろう。教会者のように、教会を支えるために10分の1献金のごとき気持ちで献金し、貸す方に感謝し、また天に宝を積む営みをいかほどにしているか、の問題なのである。
 大事なことは恩恵の分かち合いということであろう。所詮エクレシアといっても人の集まりであるわけであるから、欠如体であり、弱いうめくエクレシアであることは申すまでもない。そこを補ってくださるのがキリストの愛なのだ。そこにまた神の恩恵も豊かにそそがれるのだとおもう。
 実にここに集う皆さんこそほんものの同士であると思う。先生が交通事故に遭われ、集会にお出でになれなくなってすでに16年、集会が今日あるのは主の憐れみによる奇跡といっていい。先生の40代はよかったとか、先生が居られないのでは・・・とか諸種の事情で集会を去る人に対しては、ただ神のご加護を祈る、とのみ言いたい。然り、現実には集会の皆さん一人ひとりには、実に多くの精神的・肉体的苦しみがますますいや増しているのが実態であろう。そして、その呻きを共に担い、励ましあう、そのエクレシアこそ主の嘉したもうほんもののエクレシアではなかろうか。私にとっては、その現実を有りのままに受容し、主の十字架をわが身に受け、神の恩恵にあって与えられた生涯の歩みを全うしたく念ずる次第なのである。うれしいことは、若い方々がひとりふたりと参加してこられることですね。
どうか皆さん、現実の集会―エクレシアに生き、唯一なるヤハウェ神のご支配にあって、歴史の厚みの中で、キリストの復活を基点に、十字架の贖いの信仰を本質から受止め、雄々しく人生を満腔の感謝をもって歩んでいただきたく念ずる次第であります。
 (2010年5月2日、高橋聖書集会のコイノニアにて語る。)     

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