『知識人の責任を問う』その2(168)2018,4

坂内宗男

 そうだ、言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。あなたたち律法の専門家は不幸だ。(神の国の)知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。(ルカによる福音書11章51b〜52節、新共同訳)
●前号で西部邁氏の死に伴う評論家・学者等の姿勢を問うたが、そこには日本人特有のあいまい・無責任性を見、思考の一貫性の無さの背景に、個の自覚に欠けた和の社会の欠陥が日本全体をおおい、森友・加計疑惑、また日常的に起こる会社等の不祥事に見られるように、根的な問題、それは日本人の思考性に係る事柄と痛感するからである。
●典型的には前号指摘の在日者辛淑玉氏の批判に何と応え得るか、私は赤面せざるを得ない。西部氏は、60年安保時全学連のリ−ダ−として(私もその渦中にあった)闘った共産思想の持主であったが、今は反米保守のリ−ダ−とし特に私達にとっては重大な現政権の推進する皇国・軍国主義に貫かれた教科書採択で紛糾している当事者の編纂責任者でもあった。いわば御用学者なる人物であり、最近の急なる右傾化の思想的知識人の一人ではないのか。実は、かかる変節人物はわが国には山ほどおり、むしろかかる人物こそものになる社会とは、真理を追究する筈の人物を信用出来ない真理とは何か、それは倫理が崩壊した国家存亡に係 る重大事といえよう。
●矢内原はいう。現実肯定はたやすいことで、現実に追随してしまえば悩みはなくなる。悩みのない思想家というものは役割のなくなった存在である。…思想家として生きるものは、こういう状況のなかでこそ高い理想に生きて、絶対平和と戦争反対の主義を堅持しなければならない。…現実から見て、非現実に見えるものこそ現実を救う力をもつ、と。
東中野聖書集会(検索可)8イザヤ30:18~26、22マタイ17:24〜27
渋谷聖書集会15ルカ11:14~26草加集会58(火)マルコ14:66~72

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