『知識人の責任性』(167)2018,3

坂内宗男

 そうだ、言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。 あなたたち律法の専門家は不幸だ。(神の国の)知識の鍵を取り上げ、 自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。 (ルカによる福音書11章51b〜52節、新共同訳)
●1月21日西部邁が自死致し、マスコミの報道は勿論週刊金曜日の近時の姿勢もあって投書、日本人評論家・学者等の姿勢を問うた。
●本誌で佐高信氏は「非良心的兵役拒否のすすめ」をいう。憲法違反の視点で良心的軍事費拒否を会創立時から45年続けている私には、良心的という言葉が嫌いだというパトス(感性)的視点で非良心的というのなら、意味不明で責任放棄だ、といいたい。また追悼特集「西部邁とリベラル・マインド」で中島岳志・佐高始め諸氏の発言を見て、一体何をいいたいか、在日者辛淑玉氏の次の批判に何ら応えることのない思想の貧困性・無責任性を思う。西部の自死( これは死の厳粛性を否定した自己満足いや命への侮辱である<坂内>)について「リベラルを標榜する者たちによる哀悼の言葉が並んだ。死んだら誰でも良い人にしてしまう『知識人』の悪癖は、今も続いている」、「『新しい歴史教科書をつくる会』などの、今に続くレイシズム(人種主義)のベ−スを作った」のだと。
●60年代安保闘争時、矢内原忠雄は安倍能成を批判し、理想を捨てて現実に生きる姿勢は思想家の責任放棄だ、の言を想起した。右翼の大物田中清玄は自分の歩みと重ね合わせ「若き時代共産主義思想でのリ−ダ−程ものになる(使え易い)」といった日本知識人の本性的限界を見抜いた眼は、戦中の日本特有の「転向」や京都学派の問題性及び清水幾太郎・西部等の知識人にもいえよう。聖書でいう偽預言者ではないか。          
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