私の歩んできた道
坂内宗男(ばんないむねお)
1.社会の矛盾への目覚め
1934(昭和9)年8月2日福島県奥会津(新潟県境)農山村(現在「限界集落」)に生まれる。新教育・憲法制度一期生。中学時代社会問題に関心を持ち、極東軍事裁判について全学集会で発表した経験がある。
未だ「おらが会津(60万石会津藩)」意識の中で農村という被搾取にあっての保守地盤に矛盾を持ち、父(教育者)の同郷の知人が立身伝中の最高裁判事であったことに惹かれ、法律を学び、弱き者のために働く志を持つ。母の反対で町の高校進学が許されず、地元の高校普通科(農業科とあり、中学校舎間借り、当初定時制)に行く。
教育系大学の進学を漸く親が許可、1年浪人後の54年に福島大学に入学、12人部屋の寄宿生活の中で、毛沢東・スタ−リン選集を読めと先輩に勧められ、マルクス思想に興味を持つ。法律を独学で学び、親の反対を押切って(母56年急逝)2度退学、安井郁(原水協理事長)・中村哲法大法学部両教授(マルクス法学思考)の講演を聞き、58年同法学部法律学科3年に編入学、弁護士の道を求め本格的に法律の学びを始める。
2.絶対者との出会い
12月、予想だにしない肺結核(吐血)で川崎・学生サナトリウム(WUS<日本学生奉仕団>運営)に入院、59年2月絶対安静が解かれ、1階に降りて応接室(図書室兼用)に在った『聖書知識』(塚本虎二主筆)「断片録?」に触れ、絶対者の存在に身振い(霊感)する(→私の回心)。WUS派遣講師坂井基始良氏(矢内原忠雄門下)の人格に触れ、療友数名に呼びかけ、氏によるロ−マ書の学び(月1回)を始める。60年5月、氏の紹介で登戸学寮入寮、初代寮長里見安吉氏(ダンテ学者、フェリス大教授)の寮集会(礼拝)に出席する。(当学寮は、聖日礼拝はどの教会・集会に行こうと自由扱い)
3.人権、平和、天皇制
初登校があの安保闘争ピ−ク時の6月15日、全学挙げての学内集会に出、小集会では演説、そのままスクラムを組んで国会に向かい、明治維新団(右翼)の乱入と警察の癒着を実感(樺美智子死亡)する。深夜帰寮したら、病弱の寮長が唯一人食堂(礼拝を兼ねる)で祈りながら寮生を待って居られた様を見て胸を突かれた(3年後ご召天→告別式で出会った氏の教え子と結婚)。61年、2代目高橋三郎寮長の聖書集会に連なる。
*人権:62年今井館での矢内原集会解散に伴い学寮集会(高橋聖書集会)に来た在日キリスト者青年と出会い、朝鮮と関係深い里見・高橋寮長から罪責を学び、62年就職先の調布の地(東京都)が歴史的に朝鮮渡来人・強制連行労働者多く、多摩川近在に定住した朝鮮人部落の生活保護ケ−スワ−カ−として社会の裏面−差別の実態を痛感、79年同志(在日牧師を含む)と人権を視点で「調布ムルレ<糸車>の会」を立上げ、在日問題に取組む。いかにわが国が先進国中最低の人権後進国であるかを痛感する。
*平和、天皇制:74年「良心的軍事費拒否の会」創立・75年「キリスト者政治連盟」創立・75年キリスト教非戦平和団体「日本友和会(<FOR>26年創立、51年再出発)に入会、特に79年FORから日本キリスト教協議会(NCC)靖国神社問題(特別)委員会に派遣され、靖国問題に係るようになってから、天皇制とそれを支える日本的精神構造−天皇教<日本教>的体質の問題(クリスチャンも日本教キリスト派)、平和と天皇制は密接な関係にあり(恥の文化、罪責感の欠如)、宣教の最も対峙すべき課題、私のライフ・ワ−クと自覚するに至る。95年、韓国延世大・高麗大(語学堂)に学びつつ日帝時代天皇制がいかなる影響を与えたか、迫害(殉教)の歴史を少しく検証した。
96年より登戸学寮の寮長として8年間朝拝・聖日礼拝の責を負う。94年退任後は東中野聖書集会を主宰、伝道に努めているが、その中心は復活(←十字架←贖罪)を基点とした地の塩的生き方(一元論)を己の生きざまとして証し告白するスタンスである。
4、私にとっての無教会信仰
無教会の本質はマタイ伝18章20節の原始教会のあり方にある。すぐれたリ−ダ−が天に召された今こそ無教会の本領が問われ、それを神の与えられた好機とポジティブに受止めるべきと思う。神の御経綸に生きるキリストの群れたる私達は、神−己(個たる人間)というキリストを介した義たるタテの関係と、神の子たるキリストの愛(アガぺ−)をこの地に生かすエクレシア(ヨコの関係)の十字(その中心はキリスト)の軋りにあって、地の塩として生きることに尽きよう。「キリストのみ」の無教会の本質は「独立」と「自由」にある。この世の何ものにも捉われないただキリストのみに生きるとは「教会無き教会」という理想(神の国)をこの地に追い求める純福音把握の信仰共同体(エクレシア)姿であり、フレキシビリティ−(柔軟性)が生命であって、あの内村鑑三のいうドグマに捉われない「真理の楕円形」的信仰把握、「真理表現の複数性」(高橋三郎)こそ肝要と思う。牧師・教会者と交わって感じることは、無教会信仰を与えられた恩恵の実感と、片や無教会者自身が恩恵と判ってないのではないか、という人間の弱点の問題である。教会は、目の前の組織(世俗)に目を奪われ、教会の本質がともすればおろそかにされ(たとえば日基教団の絶えなき内部紛争―万博キリスト教会館問題、社会派と福音派の対立、聖餐問題等,結果として政治と同じ保守化路線),NCCにも大きな影響を与えている問題である。また、良心的牧師が、教会で平和や天皇制問題は語れない(事実ある牧師は、自ら開拓した教会を追われた)という教会の体質に共感・共働することは、同じ主を仰ぐ者として無視し得ないわが身の問題なのだ。ひるがえって無教会の現状は、かっての天皇制軍国主義と闘った先人を鑑として生きているのか、むしろ教会にとって代わったとも言える蛸壺化・個人主義的信仰に閉塞化してしまい、地の塩を失ってはいまいか、という問題である。無教会も長いキリスト教の歴史(大樹)に連なる枝として、恩恵ドロボ−(高橋三郎の言)にならずに、主にあって共に痛みを分ち合い、主の恩恵を、各自のタラントを生かして恵みを分ち合うという天に宝を積む生き方が私達キリスト者に与えられた生涯ではないか。この研修所の意義もここに在ろう。
(2010年6月19日「無教会研修所黒川講座」 受講生として5分スピーチ用メモ)
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